2011年11月14日月曜日

「子ども」の定義・区分と性




「子ども」の定義って、どうだろう。

国の制度的には、18歳未満を児童としている。児童福祉法 第4条を見ていくと、1歳未満=乳児、満1歳~小学校就学まで=幼児、小学校就学~満18歳に達するまで=少年、としている。
ただし、刑法176条・177条の規定を見ると、13歳が性交同意年齢の境として存在している。(後述の身体的なものを考えると、とても適切な年齢設定)
児童福祉法 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO164.html
刑法 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M40/M40HO045.html

では、当事者の主観はどうか。
まず、小学生が子どもと言われるたらどうか。特に違和感はないだろう。児童も同じ。小学校に「児童会」ってないかな?自分の時はあった。
次に、中学生・高校生が子ども・児童と言われたら、当事者はどう思うか。18歳に近付けば近付くほど違和感が出る。当事者にとって違和感がないのは少年・少女だろう。
つまり中学生・高校生が、子ども・児童と言われるのには違和感がある。すなわち、当事者の主観的・刑法の性交同意年齢的・小学生と中高生の境界として、13歳あたりには大きな隔たりがある。
しかし、大人・保護者からの主観はどうか。学生を卒業していない、18歳~22歳未満は子どもだ。理由は、経済的に保護者から自立していないから。ただ、中学生・高校生を児童と呼ぶのは、多くの親が違和感を感じるだろう。
主観的には13歳未満が児童、13歳から18歳未満が少年少女、18歳以上で青年・成人と思う人が多いのではないか。そして少年少女にカテゴライズされる13歳から18歳未満は子どもと言えるかは、主観的にはグレーゾーンだろう。

では、身体的(特に性的)にはどうか。
身体的なものの一つの目安としてならば、第二次性徴期があるだろう。Wikipedia( 第二次性徴 )では男が9歳~14歳、女が7歳~12歳に始まるとされている。この時期位に身体的に大きく成長する。
性的な面では「精通」「初潮」が来る。精通・初潮は、早い子で小学3年生位で平均が小学6年生から中学1年生である。だいたい12歳から13歳。小学生に精通・初潮が来る子は半分から4分の1程度はいる。
初潮・精通に関する内容で参考にした統計データはこちら。→ 精通年齢(初めての射精年齢)の遅延傾向 http://www.kobekids.net/kenkyu/spermarche2000.html
第二次性徴期を迎えると、性欲が顕著に高まってくる。身体の成長と性欲との関連については、こちらにまとめてある。→ http://togetter.com/li/91179
心理面においては、13歳から19歳の間に不安定な時期を迎える。大人と子どもの中間とされるミドルティーンは15歳から17歳。
身体的には、小学校中学年から中学1年生あたりで、第二次性徴期によって境界ができる。精神面としては、小学校中学年以下と・小学校高学年から20歳未満・20歳以上と大別される。

以上から考えられるのは、18歳未満を一律「子ども」「児童」とひとくくりにするのは、当事者の主観・身体面・精神面において、不適当であると言える。では、どのように区切るのが適切か。
個人的には、当事者の主観に記した、小学生以下(13歳未満)・中学生と高校生(13歳~18歳未満)・18歳以上、と分けるのが妥当と考える。
性についてだが、「精通」「初潮」を迎えた青少年が性欲を持つことは自然であり、むしろ性欲を持たないことの方が、ホルモンバランスを考えれば異質で心身に不健康(すなわち、不健全)と考える。
特に男の子の性欲を司るホルモンは「エストロゲン」であり、闘争本能を増す作用を持つ。「エストロゲン」の作用である性欲が発散できなければ、ストレスがたまり攻撃的になる。性欲+攻撃性から来る欲求は「性暴力」であり、危険な衝動であり、もっとも不健全である。
中高生に対する性メディアについては、身体面から考えれば、現在の青少年健全育成条例の成年コミック・雑誌等の扱いを考え直すべきと考える。下手に性メディアを規制して、性欲を抑え込むことは逆効果であり、青少年の心身に不健全である。
もし、「道徳的に青少年が性メディアにふれるのが不健全だから」と言うなら、その「道徳」は何かを根本まで突き詰めてもらいたい。少なくとも、私が感じるその「道徳感」は、『自分自身が習っていない「性」』は、知らなくて不安で怖い嫌悪感のある存在だから不道徳としか思えない。知らないのが問題。
つまり、性に関して言えば、18歳未満だけでなく多くの大人も含めて知識・学習面では、みんな「子ども」だ。



あと、この疑問もあった。

自分たちが生きる一生の中で「子ども」とはどのような時期・位置付けか。これが考えられなければ、青少年の健全な育成の本質は考えられない。
「子ども時代」は、大人に向かって自立するための学習期間だ。自立するためにあらゆる学習をする。遊びだってそうだ。「守る」だけで「自分で考え行動する」ことを否定したら、子どもはずっと子どものままになってしまう。大人になるまでに、自立していかないといけない。
当然、「性」についてだって習うべき。なのに、大人の中で過激な一部の人が「悪影響だ」と逆に教えようとしない。「性」は「子どもを産む際に必要な知識」のひとつだ。性の中には恋愛観もあるだろう。「好きという気持ち」も性教育で教えたっていいはずだ。
マンガなどで異性(あるいは同性)への愛を描いた物だって立派な性の知識だ。パートナーに優しくなるきっかけにだってなり得る。
単純にかごの中に入れるように守るだけの育て方を考えているようじゃ駄目。自分で考えられるように、子ども自身が少し失敗してもいいような寛容さのある、(親にとって寂しいけど)子どもが親元から飛び立てるように、自立させていくような仕組み作りこそ、今の子どもに必要ではないか。

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