2013年7月19日金曜日

聖地巡礼などの観光産業とアニメ

史実(歴史)・小説・ドラマ・映画・漫画・アニメ… 様々な作品・コンテンツというのは、その作品のメディア展開のみならず、観光事業に副次的効果を発生させる。例えば平安文化の中心となった京都市。漫画・アニメであれば、有名なところは「らき☆すた」の鷲宮神社。
京都・奈良などの歴史的建造物や文化などは、歴史・昔の日本文化が好きな人にはたまらないだろう。地元では出雲大社へ参拝に来る海外の方がおられるし、世界的に有名だとのことである。
ギリシャ神話を読めばギリシャに行きたくなるだろうし、ローマ史を読めばローマに行きたくなるだろう。たぶん、古事記・出雲風土記などの神話に触れて、出雲大社に来たくなった海外の方がおられるのではないだろうか。

たとえ、ストーリーに日本の舞台がなくても、その作品のパロディ・二次創作の発表の場としてコミックマーケットなどがある。商業誌・同人誌の販売などは秋葉原が有名。コンテンツ産業というのは、副次的に日本へ海外の人を呼び寄せるチャンスとなっている。
漫画・アニメなどのサブカルチャー文化というのは、エログロも含めて、いろいろなものが集まって、一つの文化ができあがっている。だから、不用意に何かしらを不健全として規制したりすることは、文化の衰退を招いてしまう。
小説にはエログロのある作品なんてざらにある。先日の芥川賞作品は不倫を扱っているのだから、(読んでいないが)当然エロに関する間接的な表現くらいあるだろうし、普通の小説にだってエロ表現はある。
魂を込めた作品を世に出せる環境を作るのであれば、規制はできる限り最低限にすべき。

話を変えるが、現在の性表現規制教科の動きは、本質的には日本の性教育の未熟さが根本にあり、性行為等についてまともに取り扱っていない所に問題がある。学生が安易に性行為はしない方がいいのは当然だが、適切な性に関する知識を身につけるという基本部分を日本の子どもは習っていない。
だから、個人的には現状を容認せざるを得ないのだが、生理学的には第二次性徴期で性欲を司るテストステロンなどの性ホルモンの分泌量が急増するなどがあり、その関係で性欲を抑えきれずに「何か」で発散する必要に迫られる子は出てくる。その「何か」はどうあるべきだろうか?
性教育で性についてまともに話をしないケースが多いから、「性」というわからない存在に対して不安みたいなものを抱き、過大に嫌悪する反応を持つ人が出ておかしくない。少子化も、その影響があるのではないか?
創作物と現実の性犯罪との関連については、もう語る必要はない。被害者のない創作物を規制したところで、性犯罪者は減らない。むしろ、そちらの摘発ばかりに目を向けるばかりに、現実の性犯罪の摘発がおろそかになれば、それこそ笑いものだ。

話を戻そう。
年配の人などが理解できない不健全と思ってしまうようなものも含めて、海外から来る漫画・アニメ好きの人が秋葉原やコミックマーケットに来ている。だから、「海外の人向け」として自分たちの文化に縛りをつけるという考えは間違っている。それは、新しいコンテンツ文化の芽を摘み取る行為だ。
海外の人向けだけでなく、漫画・アニメの初心者・初歩向けの作品を厳選してアピールすることは、間違ってはいないと思う。ただ、自由に作品を作れる土壌はあるべき。クールジャパン政策等で必要なのは規制ではなく、ゾーニングだ。厳選の上での作品アピールだ。
海外の人でも、日本の様々な萌え・性・暴力などあらゆる表現を含めたアニメ作品を理解してくれる人はいる。そういった人に門戸を開き、世界的に漫画・アニメ文化を広げることは悪いことではなく、世界的視野に立った漫画・アニメ文化の発展に寄与するのではないかと考える。
逆に、海外で作られた秀作が日本に逆輸入されて好評を博するという展開もあるかもしれない。でも、それは決して悪いことではないだろう。良い作品に触れる機会が出来るということは、良い作品を作る人を生みやすい環境を作ることになるからだ。
コンテンツを通じて、日本の土地を舞台とした作品を作れば、日本国内の人だけでなく、海外の人が聖地巡礼として作品の舞台となった土地に訪れてくれるかも知れない。たとえそうでなくても、日本にはパロディ・二次創作を活発に発表する場所がある。
聖地巡礼やコミックマーケット等に参加してくれるなど、日本に来てくれれば、観光分野として日本に経済的価値をもたらしてくれるのではないだろうか。

安易に創作物を規制することは、1.創作物の犯罪を規制しても現実の犯罪はなくならない、2.日本(あるいは世界)の文化の発展を損なう、3.創作物を通じた観光産業による経済的価値を損ねる、といった害を及ぼすことが想像できる。
作品のジャンルによって嫌悪する人がいるのは事実だろう。だったら、作品を嫌悪する人と作品を求める人と折り合いが付けられるようにする方法を考えべきではないだろうか。
私としては、作品に対する推奨年齢・特定表現の強さ(性・暴力や残虐性)の表記をすること(ゾーニング)を話し合うことが、必要ではないかと思っている所。