2012年10月26日金曜日

有害情報規制問題とメディアリテラシーと教育

「子どもに有害な情報を規制して子どもを守ろう」このメッセージの問題点は次の2点だと思う。
『家庭で「メディアで流された情報をうかつに真似しない」と教えていない』
『家庭での教育を放棄して行政が法律・条例で規制するため、結果的に保護者・子どもの思想・表現の自由を奪う』

(1)行政に、子どもに伝わる情報に関して「規制しろ」というのは、保護者が家庭で教育できないことを意味している。つまり、教育問題。学校教育の問題として扱うべきだと訴えるのが正しいのに、問題から目をそらしたい(抹殺する)ために行政を使った規制の問題にしている。根本的解決にならない。
なぜ、情報への規制が根本的解決にならないか。子どもの時に情報を規制しても、大人になってから規制がなくなって、その情報への対処の仕方がわからなければ、結局いつまでも有害な情報になってしまうからだ。だから、情報への規制ではなく、リテラシーをつけないといけない。
第二次性徴期(小学校4年生~中学生)に入ったら、子どもは自立したがって、親の目を盗んでいろいろな物を見るのも珍しくない。だから、その前にメディアリテラシーを付けるべきだと思う。有害な情報があるというなら、なおさらだ。
ただ、お子さんのいる保護者の立場に立てば、第二次性徴期までの子どもに何を読ませればいいのかという心配はあると思うので、保護者がメディアの管理をしやすくするために、第二次性徴期に入り始める小学4年生までを対象とした「10歳未満推奨」という目安のマークがあると保護者は嬉しいと思う。

(2)行政が法律・条例で暴力・残虐・性表現を規制するということは、つまり、部分的ではあるが、行政が思想・表現をコントロール(検閲)するということだ。子どもであっても、それを許していいのか?家庭が子どもに接するメディアのコントロールを失っていいのか?
私は、できる限り子どもが接するメディアについては、保護者のコントロール下に置くべきだと思う。有害情報があるのならば、一定の年齢まで親がメディアのチェックをして、加えて早い(小学校低学年までの)段階でメディアリテラシー教育をすべきだと考える。
18歳未満の青少年が、小説・ドラマ・マンガ・アニメ・ゲーム等…様々なメディアについて、行政からエロ・グロをすべて規制・検閲された上でメディアと接することが、「青少年やその家族にとって健全か」と問われたら、私はこれを否定する。
ゲゲゲの鬼太郎は?ドラえもんは?クレヨンしんちゃんは?… 毒の無い作品だけにすれぱ、子どもを健全に育つとは思えない。


ちなみに現状って、性情報が出てきたら『即座に隠す』という逃避行動をとる風潮だと思う。『対処できるようにする』ではないんだよね。性情報に対して保護者が逃避行動をとる一因が、性情報を有害と見なす風潮にあるように思う。
性教育学会で「家庭で性教育をしてほしい」と言っておられてたけど、性に対して過敏になっている家庭が多い中では、どの家庭でも性教育ができるようには思えない。その意味では、現実論としては、学校でなければ性教育を教える場は基本的にないと思う。
小学校高学年以降の子どもと一緒にテレビを見て、ちょっとしたキスシーンがテレビに出ただけでもチャンネルを変えて、性関連の情報からひたすら逃避するというのは、やはり、子どもの将来のためにも家族のあり方としても、議論・教育のできない家庭という意味で『不健全な家庭』だと思う。
結局、「性について話せない」ということは、家庭の機能不全の一つなのかもしれない。親も、子どもも、家族内で隠し事ができる訳だから。



追記


「子どもに有害な情報を規制して子どもを守ろう」というのは、行政を利用した過干渉(行き過ぎた過保護)の一つだと思うんだ。


追記.2

子どもが思い通りに育たないとか、(犯罪・売春等)非行に走ったとか… その理由を『有害情報のせいだ』と言ってメディアに責任をなすりつけるのって、その子自身が抱える問題はなかったことにして、その子と向き合わずに逃避しまおうという意味で害悪だと思う。
なぜ、子どもが自分の思い通りに育ってくれないのか。理由はその子自身の心の中にあるはずなのに、その子の周囲にある「物(メディア)」に当たり散らすのは、保護者自身が子どもに向き合えてない証拠と言えるのではないか。
「子どもが言うことを聞かない・非行に走るのは、ゲームのせいだ、マンガのせいだ、携帯のせいだ、規制しろ」と言う前に、保護者は忍耐を持って子どもと向き合うべきではないだろうか。

個人の嫌悪感で「マンガ・アニメ・ゲームは絵が気持ち悪い。たぶん、子どもに害悪だ。規制しろ」と言っているなら、保護者でなければ根拠のない妄想だし、保護者であれば子どもと向き合えてない(子どもの話を聞かない)証拠だと思う。