2013年10月3日木曜日

漫画・アニメ・ゲーム等の規制は、小説などの他の創作物にも悪影響を与えるし、子どもも女性も国さえも守らない

性と創作物・子ども等に関するお話です。
長文・乱文ですが、お付き合いいただければ幸いです。


○日本の文化の危機
最近の傾向として、法律・条例で漫画・アニメ・ゲーム等に対する表現規制を強める動きがある。目的は「子どもを守るため」と言うが、はっきりいってこのような規制は「子どもを不健全にし、子どもが余計に守られなくなるもの」だ。どっちかといえば、「一部の『偏狭な大人』が見て不快な作品をこの世からなくすため」というのが本当の目的だろう。いわゆる、民主主義国家に不可欠な表現の自由に対する挑戦が、近年の表現規制の動きである。
個人的には(意識・無意識に関わらず)「子どもが自分の理解できない遊びをするのはけしからんから」「自分が不快だと思うものを子どもが見るのはけしからんから」という、「大人のわがまま」を通すのが目的だろう。あるいは、行政の利権のためというのもあるだろう。「子どものため」ではなく「大人の自分たちのため」に規制をしようとしているのだ。本当に「子どものため」を思うなら、自分で自分を守れるような施策をすべきで、こちらから提案もしているのに、まったく耳を向けていない。子どもへの性犯罪の半分以上(80%とも言われる)は、親族や身近な人から受けているという事実から目を背けて。

小説には、直木賞作品や村上春樹氏の作品などを読めばわかるが、普通に性行為に関する表現がある。音楽だって、エロい歌詞、暴力的・残虐的な歌詞がある。これらの分野が漫画・アニメへの規制とは無関係でいられるかと思ったら大間違いだ。戦時中の検閲は、「子どもの健全な育成」を目的として、漫画・絵本の規制が始まったが、それを皮切りに映画・音楽と規制は急拡大した。
そして規制を強く望みロビー活動をしているある団体は、漫画・アニメなどの画像だけでなく、音楽・文章も規制すべきだと、はっきり言っている。
今、日本の文化自体が危機的状況にあることをどれだけの人が理解しているだろうか。


○創作物の表現規制・検閲の歴史
戦時中の1938年10月に、内務省図書課が「児童読物改善ニ関スル指示要綱」によって、青少年向け漫画・絵本の規制が始まったことをご存じだろうか。
これは、青少年の健全な育成という名目で、漫画・絵本に対する検閲を行うというものである。
その後、1939年には「映画法」で国益に反する映画が作れなくなった。
1940年には「警視庁興行取締規則」で、演劇・講談などの興行に対する規制が強化された。
1941年からは、浪曲などの音楽・レコードの取り締まりが強化された。

それ以前から、新聞では検閲があり、政府の意向に反する記事は書けなかった。それが、1945年には「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」「日本ノ新聞準則ニ関スル覚書」によってさらに規制が強化された。

当時の検閲は、組織図を確認する限り二つあった。内務省警保局検閲課(図書課)、そして、警視庁特高部検閲課。つまり、検閲で問題があれば、特高に捕まる可能性があった。特高に捕まった人がどのような扱いをされたかは、歴史を調べればわかる。拷問など当たり前で取り調べで死亡することだってあった(蟹工船の小林多喜二は、特別高等警察の取り調べの際に行われた拷問で死亡している)。
そして、今の警察組織も自白に頼った誘導尋問は当たり前で、冤罪も多発している。国際社会からは、まるで中世のようだとバカにされているのが現状だ。つまり、日本の取り調べ・司法は、世界の中でも後進国に位置付けられている状態である。

漫画に対する表現の自由は、昔から対立の歴史だった。
戦争終結は1945年8月である。
詳細は「マンガはなぜ規制されるのか」長岡義幸著が詳しい。
その戦後である1955年あたりで、「日本子どもを守る会」「母の会連合会」などが漫画バッシングをはじめる。ちなみに、「母の会連合会」は、警察官の妻による民間団体。つまり、事実上警察による漫画の規制だったと言える。
そして、警察などの行政・親が考える「健全な作品」以外の漫画に対して、大規模な排除に動き出した。その中に、当然手塚治虫氏の作品も含まれた。
排除の理由は「作中に拳銃が出た」「文字がほとんどなく、効果音ばかりで読書教育に悪影響」「絵が低俗。芸術感覚が麻痺し情操が荒廃する」「漫画を取り上げ、良い本を与えよう」など。こんな理由を見れば、子どもの自主性などまったく無視して、大人が押しつけようとしている。まさに過干渉である(ちなみに、性犯罪者の傾向として、小さい頃に親などから過干渉を受けた人が数多くいることを加える)。
ルパン三世みたいに拳銃が出たり、風の谷のナウシカみたいに文字がほとんどなかった作品を読んだり、あげく北斗の拳みたいに暴力ひしめく作品やらんま1/2など女性の裸がたくさん出る作品を見るなど、様々な漫画・アニメに接してきたが、その世代に子どもだった人の多くはいたって健全に育っている。
だが、そんなことを無視して、「子どもの健全のため」という名目で、1950年以降に次々出来ていった「青少年健全育成条例」の中で、漫画・アニメ等の「事後検閲」が行われていった。それによる出版社側の自主規制で、知らないうちにいくつもの作品が消えていっている。それは、今もだろう。


○創作物を規制することは正しいことか
大人達にとって「良い本」と「悪い本」があって、「悪い本はこの世からなくさないといけない」と思っているかもしれない。だが、それは正しいことなのか?
「悪い本」とは「大人の自分にとって都合の悪い本」ではないか?
作品の中には「暴力」「残虐」「エロいものなどの性表現」があるだろうが、それを単純に「大人が」見たくないからではないだろうか。
第二次性徴期以前(だいたい10歳以前)なら、エロ・グロ作品は見せたくないと私自身も思う。でも、そういった子どもは多くは見てもわからないし、わかったとしても他人に傷つけない程度に真似する程度で、しかも大きな影響を与えることはない。それより何より、子ども自身が虫を殺したり、子ども同士で喧嘩(暴力行為を)したり、子どもが裸になったり下半身を出してたりなど、現実世界の方でエログロ暴力行為をしている。
第二次性徴期以降になると、今度は青少年側が好んで刺激の強い作品を求めてくる。それは、自我の目覚めでもあり、子どもが自立していく過程でもある。その子らが「暴力」「残虐」「性表現」を見ることは、個人的には予防措置をとれば問題ないと考えている。その予防措置とは、「メディア教育」と「性教育」だ。そして、これらの教育に対して否定的なのも大人側だ。
つまり、「有害図書」に相当する漫画・アニメ・ゲームが出ることで問題が起きているのは「子ども」ではなく「大人側」だ。よく考えて欲しい、漫画・アニメ・ゲームの影響で他人を殺したとか、性犯罪をしたのが明確になっている事件なんて、今までニュースで出ただろうか。どちらかといえば次のような声が主だろう。
 ・「あんな卑猥なものを置くなんてけしからん。子どもに悪影響だ」
 ・「こんな暴力表現・残虐表現があったら子どもが真似したら怖い」
これらは「過敏に反応する大人の声」ばかりだ。
先ほどの声は、次のように言い換えられる。
 ・「あんな卑猥な物を(自分は)見たくない」
 ・「こんな暴力・残虐表現を見てると(自分の)気分が悪くなる」
つまり、「子ども」を利用して「大人である自分」にとって都合の悪い物を排除したいだけである。

芸術性云々も、私から言わせてもらえば、「個々人が持つ『感動』を主観的に評価するもの」だ。「個人の主観」だから、人によって芸術性なんて変わる訳で、それで規制の理由にすること自体間違っている。
政治的主張もそうだ。創作物にしても、どのような文章においても、いつ何時に作中に政治的な意味合いを含む内容が出るかなんて、実際はわからないものだ。その意味においては、あらゆる作品の表現の自由を守らなければ、「表現の自由で守るのは政治的主張だ」と言われても、説得力を欠けてしまう。

それに、ベルギーでの調査でも、日本の警察とハワイ大学の共同調査にしても、エロい作品からの悪影響は(子どもを含めて)ないとの調査結果が出ている。暴力表現についても、アメリカのハーバード大学などの調査で、短期的には真似をすることはあっても、長期的な悪影響はないとの結論が出ている。
あなたは、エロい作品を見たり、暴力・残虐的な作品を見て、自分が不健全に育ったと思いますか?自分の実際の育った環境が悪かったのを創作物の影響だと責任転嫁していませんか?


○創作物における性愛・エロスの必要性
私自身、小説については高校生の頃から本格的に書き始めている。
そこで、私自身は「男女の性について書く」ということが、作品を描く上不可欠であることがわかった。
人は生きていき、男女が出会って本当に心から通じ合って付き合う中で、性というものはどうしても意識せざるを得ないのだ。だから、個人的に性行為をしていなかったということで「本当の性愛が描けない」という悩みもあり、悔しかったがその部分は飛ばして描かざるを得なかった。そして、当時の私自身も性に対して後ろめたさを感じていて、公表時には避けたいと思っていた。
でも、本当に人が恋愛するのに、性を避けることなんてできるのか?
好きな人と出会い、手をつなぎ、キスをして、好きな相手と抱き合う。そして、裸になって抱き合う。
好きな人がいたら、どこまでも近付き、抱き合いたいと思わないのか?
思わない人は、本当に好きな人に本心で抱きしめたことがあるのか?
自分はある。目の前に、母が、父が、弟が自殺して、次に自殺してもおかしくない女性がいて、守りたくて抱きしめたことがある。その時に痛感した。好きな相手に肌で触れて、抱きしめることで、本当の意味で相手への愛おしさを全身で感じることができるんだ。
そんなことを経験していれば、性愛というのは忌避するものではなく、もっと身近で大切にすべきものだとわかる筈だ。
話がそれるが、子どもがどれだけ思慮深い面があるか知っているだろうか。私は高校生の頃にある施設でパソコンで遊んでいたのだが、その自分の横に小学生の女の子がちょこんと座って私がプレイするゲームを見ていることがあった。その女の子は、私にいろいろなことを話していたが、もうはっきり覚えていないが、その子の話をずっと聞いていると、すごいしっかりとした意思・意見を持っていることを痛感させられて、私は凄いショックを受けた。今(2013年)でいえば、春名風花ちゃん(はるかぜちゃん)がしっかりとした意見をツイッターで発言して、ませているとみんなが叩いているが、はっきり言って子どもをまったく理解していない。子どもは「一人の個性・思想・魂を持つ、大人と同じ一人の人間」だ。子どもを下に見ている大人は、不勉強な愚か者だ。
話を元に戻す。
自分の少ない恋愛経験の中で、性愛を通じて、相手をよりいとおしく感じられるようになるのを実感している。言葉だけという上辺の恋愛では、人は本当に相手を愛することは難しい。
別にセックスだけが性愛ではない。抱きしめてもいい。キスをしてもいい。そういった愛情表現で互いを確かめ合えれば、それだけで互いの絆はより強固になる。それは、小さな幼児も、年配のご老人もそうだ。恋している好きな人と抱きしめあえたら、嬉しくないだろうか。
そして、性欲を持つ第二次性徴期以降の青少年から性欲が衰えるまで、性行為を通じて相手と肌を重ねたい人は多いのではないだろうか。
その真実を小説に描くことの何が悪いのか。なぜ、その感覚を描くことを禁忌にしたいのか。
そして、なぜ漫画・アニメ・ゲームで性愛・エロスを描くことが悪いことなのか。
自分には、大人が自分が恥ずかしいことだから、子どもに性愛について教えること(性教育)をサボっているだけにしか見えない。実際は教えることを恐れているだろうが。


○性教育の充実の必要性
青少年はみんな性愛を知りたがり、自分の体の変化に悩んでいることを理解しないといけない。
大人は初潮・精通についてきちんと教えられるか?
子どもがそんな場面にあったら、どれだけショックを受け、うろたえるか知っているか?
私は親に話ができなかった。性教育で詳しい話を聞かないで精通が来たから、知識もなかったために、精神的ダメージは大きかった。
今の性教育は、子どものためになっていない。
「寝た子を起こすべきでない」という人がいるが、私から言わせれば、第二次性徴期に入れば「いずれみんな寝た子は起きる」のです。
援助交際(売春)の話は、週刊誌やテレビニュースなどを見たり、友達と話をしていればその知識は入ってくる。ならば、その知識が入る前に危険性も含めて学習すべきなのに、それを学ぶ機会があるという話は私の耳に入ってこない。援助交際(売春)の危険性をあまり知らない援助交際で大きなお金が手に入ることを知れば、お小遣いがほしい、家計が苦しいという理由で、援助交際に走る少女が出て当たり前だ。そのような少女をたくさん生み出しておいて、「援助交際による少女の性被害が増えている」と言うのはおかしな話である。根本的には性教育で援助交際の危険性とお金が欲しい時の対応について学習できていれば、少女の売春はかなり抑えられるはずだ。
「エロいことを知らなければ、エロいことはしない」というのは、青少年にはまったく通用しない考えだということを理解すべきだ。性教育をまったくしないで生徒の10人に1人が妊娠したり性病が他の地域より圧倒的に広まった、テキサス州ラボックの例を知るべきだ。
性について真正面に考え、性教育を、身体の成長に関する知識や性感染症の知識だけでなく、恋愛に対する基本姿勢、妊娠した時に考えないといけない対人面・経済面・法律面の問題、性犯罪・性暴力・性虐待とは何で通報先はどこか、性行為の仕方などをきちんと学ぶ必要がある。


○性が身近な社会の方が男女平等であり、性が抑圧的な社会では父権社会である
特に最後の性行為の仕方を学ぶなんてけしからんと思う人がいるだろう。だが、性行為の仕方をしらなければ、大人になってから赤ちゃんを作る際に、女性にひどい苦痛を与えることになる。それは、性を通じた暴力だ。それより、むしろ男女間が肌を重ねて幸せを感じながら性行為をした方が健全だ。「性行為で快楽を求めるのは卑猥でけしからん」という人は、女性が赤ちゃんを作る際に性行為で苦痛に何度も耐えることを強いることが本当に正しいのかを考え直して欲しい。性行為で、苦痛を感じることと、快楽を感じることと、どちらが正しいのかをよく考えてもらいたい。
また、女性に苦痛を強いて赤ちゃんを産むというのは、女性の地位を落とす行為だと考えている。性について抑圧的な社会(例えばイスラム社会など)では、女性の地位が低い父権社会が圧倒的に多いという事実がある。逆に、昔の夜這いのあった日本の社会においては、女性がある一定の地位にあり、比較的女性の権利が守られ大切にされてきた歴史がある。江戸時代の三行半の風習などは、特に女性が離婚を申し込む上で女性が比較的有利に働いていた。つまり、男性が女性を抑圧するような社会ではなかった。
では、アダルトビデオが普及した今、女性の地位が落ちたかといえば、むしろ地位は向上しているように見える。AV女優が堂々と一般のテレビ番組に出演できるようになっているのは、よくよく考えれば女性の地位が向上しているように思える。逆に女性アイドルの方が男性が女性にアイドル像を押しつけてる感じで、父権的ではないだろうか。
それに、女性には生理があり、生理期間中の不快な症状で、ストレスをぶちまけられることがあることを男性が理解できれば、多少は女性にやさしくなれると思う。そして、第二次性徴期を過ぎた男性は性欲がすごく強くなることを女性側も理解してもらえると、助かる。


○児童ポルノ禁止法の目的とは
では、児童ポルノ禁止法の趣旨・目的を説明する。
法律の略称は、正しくは児童買春・児童ポルノ禁止法である。
この法律ができたのは、発展途上国の児童売春街で、児童による売春を通じ、性的虐待による死亡が発生したのが発端である。
つまり、児童への性的虐待という実際の人権侵害が発生したため、子どもの生きる権利を守るために運動を起こし、児童の権利を保護する目的で、この法律が世界的に作られることになった。
つまり、「児童の人権保護のための法律」である。
なので本法律の趣旨は、児童に対する性的虐待、児童の人身売買や誘拐など、児童に対する著しい人権侵害から保護するのが目的である。
児童ポルノがなぜ良くないのかは、次の理由である。

 ・児童ポルノである実写の画像(静止画・動画)が犯罪を行うことで作られた成果物であり、犯罪証拠物である
 ・児童ポルノが流通することがビジネスとなれば、さらに実写の児童ポルノ作品への需要が高まり、児童への性的虐待を助長する

つまり、「実写画像を通じて実際に児童への性犯罪を行っている」「ビジネスとなると児童への性犯罪を幇助することになる」のである。
なので、児童への性的虐待を撮影した児童ポルノは、取り締まることが妥当なのである。
ただし、国際刑事警察機構(ICPO)が「児童ポルノ」という単語自体が誤解を招くということで、児童性虐待成果物(CAM:Child Abuse sexual Material)を用いるべきと、各国に働きかけている。
理由は、仮想と現実の犯罪とを混同することを問題視しているからである。

だが、日本の児童ポルノ禁止法は、「見る側が感じること(思想)」から規制を行っている。だから、犯罪行為でない自分の子どもの裸の写真さえも児童ポルノとなる可能性がある。単純所持処罰の規定が盛り込まれれば、自分の子どもや自分の子ども時代の写真・動画を持っていたら、逮捕されてもおかしくない。
しかも、対象に漫画・アニメ・ゲームを加えれば、自分が落書きで裸の写真を描くことさえ犯罪行為になってしまう。
「仮想・現実にかかわらず児童の裸を『見る』のはけしからんから処罰すべき」というのは、見る側「思想」を取り締まるという考えだ。「エロい児童の絵を描くなどけしからん」というのも、本質的に描く人の「思想」を取り締まる行為である。つまり「道徳法」の視点で「治安維持法」と何ら変わりがない。しかもこれらは、本質的に児童の性被害者保護の考え方ではない。つまり「実児童の人権保護の法律」となっていない。
だから、法解釈として「実児童への性的虐待を行っている画像」を取り締まるようにしないと、世界的な児童ポルノ規制と乖離した古い考えでは、児童への性犯罪とは無関係な人ばかりを逮捕するような児童ポルノ法となってしまうだろう。


○創作物の児童の出るエロ作品を規制しても児童性犯罪は減らないか助長する
欧州の各地では、漫画などの創作物が児童ポルノにあたるかについて、裁判所が相次いで「漫画は児童ポルノにあたらない」という判決を出している。
また、韓国においても「漫画は児童ポルノにあたらない」という判決がでている。
成人向けのエロ漫画においては、未成年に見える男女が性行為をするものは当たり前に何年も出ている。しかも、その数はどんどん増えており、ネットにも至る所にある。だが、そのことによって性犯罪が増えたかといえば、逆に近年は児童への性犯罪は成人向けコミックが出る前の小学生458人・幼児96人(1965年)から、小学生45人・幼児3人(2012年)と10倍以上も減っている。
成人向け漫画が出始めたのは1970年代からであり。本格的に普及しだしたのは1980年代からである。
つまり、エロ漫画などの創作物と児童性犯罪とは、少なくとも無関係である。
逆に、統計情報を調べると、エロ作品の普及と性犯罪は逆相関関係で、エロ作品が普及すると性犯罪が減り、エロ作品が取り締まられると性犯罪が増えるような傾向がある。
事実、韓国において2000年に青少年保護法によってエロ作品に対する締め付けを強化した後、少なくとも4件の大きな性犯罪事件が起きており、日本にもそのニュースが伝わってくる位である。
昨年、さらに青少年保護法を強化した結果、実際の性犯罪をしていない、エロ作品を見た多くの青少年が数千人規模で逮捕される事件が発生して社会問題化した。逮捕された青少年は、就職ができずに苦しんでいる。
スウェーデンでは、漫画の児童ポルノに関する裁判で、警察側からの異例のコメントとして、創作物も児童ポルノとして規制することは、実際の児童性犯罪取り締まりの時間を削る行為であると紹介していた。
つまり、創作物のエロ作品の取り締まりに力を入れることで、実際の児童性犯罪取り締まりに悪影響を及ぼすことになりかねないのである。なぜなら、創作物のエロ作品を探すのはデスク上でネットを自動プログラムなどを使えば容易に探し出せるし、流通でチェックをかければエロ作品を調べることも可能だからだ。そして、創作物のキャラクタが児童かは捜査官の主観で決めることができる。だから逮捕は容易である。
しかも、創作物を見ることで性犯罪を助長するということについては、科学的に証明されていない。つまり、無意味なことを理由に逮捕しているのである。
そうして無意味な創作物への捜索に人・時間をかけてしまい、逆に実児童への性被害へのリソースが減れば、性犯罪者が野放しになるケースが多くなり、児童性犯罪を助長することになってしまう。これは、実際の性犯罪者を喜ばせるようなことだ。


○少子化問題
近年、少子化で政府の税収が減って大変だという。でも少子化は止まる気配がない。
日本の少子化の一因は、性情報を過度に「有害情報」として扱い、性教育でも恋愛・性行為を教えず、規制しているからではないか。
性教育等で異性のことや恋愛の仕方の基本についてきちんと知る・教えなければ、少子化が進んでしまって当たり前だ。授業でわざわざ恋愛について教えるなんて、馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、お見合いも少なくなった現代において、恋愛ができなければ結婚もできない。つまり、子どももできない。つまり、国を維持する上で必要なカップルを作るために恋愛は学ばなければならない必要な知識である。
「異性と付き合うことをしないから、一人で暮らして異性に煩わされず自由でお金に困らないから嬉しい」という言葉を何度聞いただろうか。
異性のことやつきあい方を知らずに何度も別れてしまい、あるいは異性のことがわからず不安で付き合うこともせず、結局時間ばかり過ぎて恋愛・結婚をあきらめてしまっている人が多いのが現状なのだから、いくら保育所をたくさん作ったりしても少子化に歯止めはかからないだろう。性に過度に抑圧的な国を作ることは、結局少子化で国を滅ぼすことになるだろう。それとも、移民を受け入れることがお望みだろうか。


○最後に
エロい作品に嫌気を差す人はいるだろう。
でも、エロい創作物に対する需要は確実に存在し、その恩恵を享受している人はたくさんいるのは事実だ。恥ずかしいから誰も言い出せないだけだ。
小学生に成年コミックやAVはけしからんと思う人は多いだろう。私も親になれば小学生には早いと思うだろう。
だが、中高生の特に男子がエロ漫画やAVを見るのは本当に不健全なのか。性欲が有り余る第二次性徴期以降に、性的なものに触れないことが本当に健全なのだろうか。
性・暴力・残虐表現のある作品は、大人が見てショックを受けることはあるだろう。でも、子ども自身はそれを欲する時が来る。しかも、生理的にである。

性に関心を持たない人間は、健全なのか?

性に関心を持たないということは、赤ちゃんを産む行為、性行為に関心を持たないということだ。それは人として壊れていないだろうか。
性に関心を持たないということが健全というなら、人は滅ぶべきだということだ。なぜなら、赤ちゃんを産まないことを推奨する行為だからだ。

性を忌避せず、もっと真正面から向き合って考えてみるべきではないだろうか。
エロいものについても、一定のマナーが保たれていたら容認するくらいの寛容さを持っていた方が、幸せではないだろうか。
性について正しい知識を持ち、性情報とも適切に付き合い、男女が性のことも含めて互いに幸せになれるような社会を作った方が、日本の将来のためにもなるのではないだろうか。

2013年7月19日金曜日

聖地巡礼などの観光産業とアニメ

史実(歴史)・小説・ドラマ・映画・漫画・アニメ… 様々な作品・コンテンツというのは、その作品のメディア展開のみならず、観光事業に副次的効果を発生させる。例えば平安文化の中心となった京都市。漫画・アニメであれば、有名なところは「らき☆すた」の鷲宮神社。
京都・奈良などの歴史的建造物や文化などは、歴史・昔の日本文化が好きな人にはたまらないだろう。地元では出雲大社へ参拝に来る海外の方がおられるし、世界的に有名だとのことである。
ギリシャ神話を読めばギリシャに行きたくなるだろうし、ローマ史を読めばローマに行きたくなるだろう。たぶん、古事記・出雲風土記などの神話に触れて、出雲大社に来たくなった海外の方がおられるのではないだろうか。

たとえ、ストーリーに日本の舞台がなくても、その作品のパロディ・二次創作の発表の場としてコミックマーケットなどがある。商業誌・同人誌の販売などは秋葉原が有名。コンテンツ産業というのは、副次的に日本へ海外の人を呼び寄せるチャンスとなっている。
漫画・アニメなどのサブカルチャー文化というのは、エログロも含めて、いろいろなものが集まって、一つの文化ができあがっている。だから、不用意に何かしらを不健全として規制したりすることは、文化の衰退を招いてしまう。
小説にはエログロのある作品なんてざらにある。先日の芥川賞作品は不倫を扱っているのだから、(読んでいないが)当然エロに関する間接的な表現くらいあるだろうし、普通の小説にだってエロ表現はある。
魂を込めた作品を世に出せる環境を作るのであれば、規制はできる限り最低限にすべき。

話を変えるが、現在の性表現規制教科の動きは、本質的には日本の性教育の未熟さが根本にあり、性行為等についてまともに取り扱っていない所に問題がある。学生が安易に性行為はしない方がいいのは当然だが、適切な性に関する知識を身につけるという基本部分を日本の子どもは習っていない。
だから、個人的には現状を容認せざるを得ないのだが、生理学的には第二次性徴期で性欲を司るテストステロンなどの性ホルモンの分泌量が急増するなどがあり、その関係で性欲を抑えきれずに「何か」で発散する必要に迫られる子は出てくる。その「何か」はどうあるべきだろうか?
性教育で性についてまともに話をしないケースが多いから、「性」というわからない存在に対して不安みたいなものを抱き、過大に嫌悪する反応を持つ人が出ておかしくない。少子化も、その影響があるのではないか?
創作物と現実の性犯罪との関連については、もう語る必要はない。被害者のない創作物を規制したところで、性犯罪者は減らない。むしろ、そちらの摘発ばかりに目を向けるばかりに、現実の性犯罪の摘発がおろそかになれば、それこそ笑いものだ。

話を戻そう。
年配の人などが理解できない不健全と思ってしまうようなものも含めて、海外から来る漫画・アニメ好きの人が秋葉原やコミックマーケットに来ている。だから、「海外の人向け」として自分たちの文化に縛りをつけるという考えは間違っている。それは、新しいコンテンツ文化の芽を摘み取る行為だ。
海外の人向けだけでなく、漫画・アニメの初心者・初歩向けの作品を厳選してアピールすることは、間違ってはいないと思う。ただ、自由に作品を作れる土壌はあるべき。クールジャパン政策等で必要なのは規制ではなく、ゾーニングだ。厳選の上での作品アピールだ。
海外の人でも、日本の様々な萌え・性・暴力などあらゆる表現を含めたアニメ作品を理解してくれる人はいる。そういった人に門戸を開き、世界的に漫画・アニメ文化を広げることは悪いことではなく、世界的視野に立った漫画・アニメ文化の発展に寄与するのではないかと考える。
逆に、海外で作られた秀作が日本に逆輸入されて好評を博するという展開もあるかもしれない。でも、それは決して悪いことではないだろう。良い作品に触れる機会が出来るということは、良い作品を作る人を生みやすい環境を作ることになるからだ。
コンテンツを通じて、日本の土地を舞台とした作品を作れば、日本国内の人だけでなく、海外の人が聖地巡礼として作品の舞台となった土地に訪れてくれるかも知れない。たとえそうでなくても、日本にはパロディ・二次創作を活発に発表する場所がある。
聖地巡礼やコミックマーケット等に参加してくれるなど、日本に来てくれれば、観光分野として日本に経済的価値をもたらしてくれるのではないだろうか。

安易に創作物を規制することは、1.創作物の犯罪を規制しても現実の犯罪はなくならない、2.日本(あるいは世界)の文化の発展を損なう、3.創作物を通じた観光産業による経済的価値を損ねる、といった害を及ぼすことが想像できる。
作品のジャンルによって嫌悪する人がいるのは事実だろう。だったら、作品を嫌悪する人と作品を求める人と折り合いが付けられるようにする方法を考えべきではないだろうか。
私としては、作品に対する推奨年齢・特定表現の強さ(性・暴力や残虐性)の表記をすること(ゾーニング)を話し合うことが、必要ではないかと思っている所。

2013年6月30日日曜日

【メモ】チラシの裏的、TPPをにらんだ著作権のライセンス案

昨日(2013年6月29日)にニコニコ生放送で、TPPの知財に関するシンポジウム「日本はTPPをどう交渉すべきか 〜「死後70年」「非親告罪化」は文化を豊かに、経済を強靭にするのか?【TPPの知的財産権と協議の透明化を考えるフォーラム】」が放送されました。

この中で、主に問題として取り上げられたのが、「著作権保護期間の死後50年から死後70年への延長」と「非親告罪化」です。
これについて、私なりに考えた勝手な妄想の提案をつらつらと書いてみようと思います。


2013年6月24日月曜日

【メモ】子どもの成長過程の目線から、何が必要で何が駄目かを考えてみよう

根本的なことかもだけど、子どもにとって不健全なこと、子どもに害のあることって何かを列挙したものってあるのだろうか。
子どもの心身の発達と、その際に子どもが必要とすること・気をつけるべきことを列挙できたら、年齢別にどのような状態が健全であるかの目安はできると思う。もちろん、何らかの障害があれば、それは例外ではあるが、その例外を考えるきっかけにもなるだろう。
そもそも、大人目線だけで「これはけしからん」で図書類の規制の判断をするからおかしなことになるわけで、子供の成長に合わせて考えたら、大人にとって不快でも(性教育等の)教育とセットで閲覧できるメディアを増やすのが、本当の意味で健全な子どもが育成できると思う。
子供の心身の成長を考えたら、18歳未満を一緒くたにして、図書類等を規制すること自体に無理があるんだよ。



他に自分のツイートで気になったの


2013年6月24日


「けしからん」というのは、他人の権利侵害がない限り主観的な意味合いが強く、ほとんどが「自分(達)は嫌い」と同じ意味になると思う。だから「けしからんから規制・禁止」というのは「自分(達)は嫌いだから規制・禁止」と同じになってしまうと思う。それは正しいのか?


2013年6月26日


「性道徳」で検索すると、大抵「純潔主義」「倫理」に行き着く感じ。あと、宗教的な考えも出てくる。
なぜ純潔でなければならないのか、なぜ子作り以外の性行為が倫理的に問題があるのかとなると、理由で出るのは予防方法のある「性病の問題」くらい。
大抵が「けしからん」のような感じ。
「けしからん」の感覚が、戦時中の「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」のような精神論の匂いがするように私は思う。そして、「けしからんことをする者」に厳罰を求める(まるで非国民がそこにいるように)。そんな「正義を振るう自分」に酔っているのかもしれない。
性について、感情論の「けしからん」で罰しようとする限り、性に関する問題は解決しない。性は、身体の成長と密接な関係があるため、医学的・システム的に考えていかないと、性の問題は解決しない。

私の知る限り、性の問題について改善されているところは、性教育やコンドーム・ピルの普及などの教育・社会システムから性に関する対策が整えられた国で、性に関して問題の発生しているところは、けしからん性情報の規制や性教育をしていないなど感情面で対策された国や地域。

だから「性道徳」「性倫理」「けしからん」という言葉で、性について安易に対処することは、性に関する問題をよりひどくしかねないと思っている。




2013年6月23日日曜日

子ども、恋して、性に触れる・・・人は生まれてから死ぬまで恋をする

前もって言うけど、30歳超えても童貞だったから。恋は今も昔も苦手だから。

人はいつから恋をするようになるのか。私は、たぶん産まれて家族以外の誰かと出会うようになってから恋をする可能性があると思っている。

私は、幼稚園児の頃(それよりも前からかな)、女の子に恋をしてた。そして、小学校一年生の頃に女の子からラブレターをもらっていた。あと、テレビのバラエティー番組を見ている時に、幼稚園児の子が好きな子にキスをするのを見たことがある。ネットで検索すると、保育園児でもキスをするらしい。
これは偶然だけど、小学校2年生くらいに、横をふっと見ると偶然並んでた女の子の胸を見てしまったことがあって、ドキッとして目をそらしたことがある。このことから考えても、少なくとも自分には小学校低学年から性的な好奇心があったと思っている。
ネットで調べると、小学校入学した位からエッチなことに興味を持つことは珍しくないことらしく、早いと幼稚園児くらいから性的なものに興味を持つらしい。つまり、第二次性徴期のずっと前から、性的なものに興味を持つことは当たり前にあるということ。

だからといって、小学生にむやみやたらとポルノ画像を見せることがいいかと言えば、そんなことは(特に現状は)するべきではないと思う。自分の幼児期は、上半身裸の女性のポスターがどこかの店内にあったけど、恥ずかしくて見ていられなかった。
中高生でのポルノの扱いは極めて微妙だと思う。性教育で「子育てができる社会人になるまで、セックスはすべきでない」と教えるまで、建前としてポルノは見ない方がいいとは思う。でも、現実社会の中高生で性行為をする子がいる以上、早めに「社会人になるまではセックスするな」と教える必要がある。
なぜ、中高生でセックスをする子が出てくるかといえば、性メディアの影響もあるだろうが、男性の場合、性欲を司るテストステロンの働きが急増し、18~20歳にほぼピークに達するから。女性の場合はゆるやかに上昇するが(詳細は不明だが、副腎からテストステロンの分泌はあるし、女性ホルモンのエストロゲンが分泌されると性に対する抵抗感を和らげる)。性ホルモンバランスの面から見ても、中高生はセックスする可能性がある。
実際、援助交際(売春)をする女子中高生は、報道を聴く限り後を絶たない。セックスをする男子中高生もおそらくいるだろう。
私が、「中学生の頃にセックスしたことがある」と聞いた相手は、どう見ても当時不良学生の典型(たぶん、暴走族に入ってたと思う)で、成年向けコミックやゲームとはほとんど無関係にしか見えなかった。
つまり、どう転んでも小学校高学年以前には「社会人としてお金を稼ぐ前に、AV・ポルノ画像・成年向けコミックやゲーム等の真似したりして、セックスはしないこと」ということを性教育等で教えて、18歳未満の性行為をする人を減らす努力は、本来必須なのである。
そうした教育もしないで「中高生がポルノ等を見ている。けしからん。規制しろ。」と言っても、子どもが性的に健全に育つはずがない。たとえ中高生からポルノを完全にシャットアウトできたとしても、本能としての性欲は、どこかにはけ口を求めていく。(前出で、もうそのはけ口は示された訳だが)
つまり、中高生年代でポルノをシャットアウトすることは、(医学・生理学的に)性ホルモンバランスの面から考えると、極めて危険に見える。性欲と欲求不満が重なって、目の前に異性がいたら…。だから、代替手段としてのポルノというのは、特に男性については個人的にありだと考えている。
もちろん、女子中高生もなんらかのおかずみたいな存在はあるべきだと思う。

メディアからの性情報の害悪性を指摘する人がいるかもしれない。でも性に限らず、あらゆる情報には良い面も悪い面もある。だから、性情報の一面としてのわずかな害悪性をもって規制をかけることは、自分が無知であることをさらす行為だろう。
あるいは、無知でいるふりをして、規制を達成させるかもしれない。

人は生まれてすぐに恋をする可能性を持っている。生まれてから死ぬまで恋をする可能性があるんだ。そして、いつ性に関心を持ってもおかしくない。だから、性教育に早すぎるというのは本当はない。当事者の子どもたちの多くは、性に関する正しい知識を求めていると思う。
恋をしている(子どもを含めた)人たちは、相手を性的に見ているのは間違いない。だって、相手に触れたいから、相手の手を握りったり腕を組みたいから、キスしたいから、抱きしめたいから…

2013年6月18日火曜日

中江みかよ先生の「小学生のヒミツ」第1巻の感想

中江みかよ先生の「小学生のヒミツ」第1巻読みました。掲載雑誌は講談社の「なかよし」です。5話ありまして、うち4話が性教育の範囲に絡むものだと思います。ただ、この作品は性教育作品というより、女子小学生が生活する上で悩んでいること全般のことを取り上げてるものと思っています。
以下、若干ネタバレありですので、要注意。






2013年5月30日木曜日

児童ポルノ禁止法に関するドキュメント

私が作成した、店頭用ビラなどへのリンクを、こちらに作成します。



児童ポルノ禁止法について、書店・コミック専門店などの店頭用ビラ
WORD2007形式
https://docs.google.com/file/d/0B4PBuqqPX06xcHZoQnVqZnRKaUk/edit?usp=sharing
PDF形式
https://docs.google.com/file/d/0B4PBuqqPX06xSmo3Z2QtbE5kZDA/edit?usp=sharing

複製・再配布自由です。

2013年5月8日水曜日

telefono arcobaleno 小児性愛に関する報告 2011年より

telefono arcobaleno 小児性愛に関する報告 2011年より。
(URL : http://wayback.archive.org/web/20121004015937/http://www.telefonoarcobaleno.org/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/ReportAnnuale2011_new.pdf)


●2011年 世界児童ポルノサイト数(国別詳細)

ランク  国              サイト数   パーセント
1位     オランダ        28457   39.63%
2位     アメリカ合衆国  14435   20.10%  ※G8
3位     ドイツ          9654    13.44%  ※G8
4位     ロシア連邦      9303    12.96%  ※G8
5位     キプロス        2753    3.83%
6位     カナダ          1941    2.70%  ※G8
7位     香港            1465    2.04%
8位     チェコ共和国    739     1.03%
9位     イギリス        685     0.95%  ※G8
10位    タイ            637     0.89%
11位    中国            495     0.69%
12位    ウクライナ      432     0.60%
13位    フランス        276     0.38%  ※G8
14位    ブルガリア      136     0.19%
15位    日本            112     0.16%  ※G8
16位    カザフスタン    104     0.14%
17位    オーストリア    48      0.07%
18位    ラトビア        40      0.06%
19位    ルーマニア      24      0.03%
20位    シンガポール    16      0.02%
21位    セイシェル      9       0.01%
22位    オーストラリア  7       0.01%
23位    リトアニア      5       0.01%
24位    スイス          4       0.01%
25位    グルジア        4       0.01%
26位    ハンガリー      4       0.01%
27位    スウェーデン    4       0.01%
28位    イタリア        3       0.00%
29位    韓国            3       0.00%
30位    その他          12      0.02%
        合計            71806   100.00%


●2011年 児童ポルノサイト訪問者(国別)

ランク  国              訪問数  パーセント
1位     アメリカ合衆国  145857  20.85%  ※G8
2位     ドイツ          116526  16.66%  ※G8
3位     イギリス        48552   6.94%  ※G8
4位     フランス        44721   6.39%  ※G8
5位     ロシア連邦      36390   5.20%  ※G8
6位     イタリア        33520   4.79%  ※G8
7位     カナダ          22176   3.17%  ※G8
8位     スペイン        20394   2.91%
9位     オランダ        18279   2.61%
10位    メキシコ        12633   1.81%
11位    スイス          11961   1.71%
12位    ポーランド      11928   1.70%
13位    ブラジル        11727   1.68%
14位    スウェーデン    10014   1.43%
15位    チェコ共和国    9711    1.39%
16位    ベルギー        9207    1.32%
17位    日本            8199    1.17%  ※G8
18位    オーストラリア  7425    1.06%
19位    ハンガリー      6417    0.92%
20位    ウクライナ      6282    0.90%
21位    デンマーク      6249    0.89%
        その他          91796   13.12%
        未定義          13270   1.90%
        匿名プロキシ    2654    0.38%
        合計            699639  100%

2013年4月25日木曜日

『科警研とハワイ大との合同による「性表現と性犯罪の因果関係に明確な根拠は無い」とした調査結果』のソース

『科警研とハワイ大との合同による「性表現と性犯罪の因果関係に明確な根拠は無い」とした調査結果』のソースについて、調べました。

ソースは、ハワイ大学のページにありました。
http://www.hawaii.edu/PCSS/biblio/articles/1961to1999/1999-pornography-rape-sex-crimes-japan.html

念のため、魚拓も取ってあります。
http://megalodon.jp/2013-0425-2250-39/www.hawaii.edu/PCSS/biblio/articles/1961to1999/1999-pornography-rape-sex-crimes-japan.html

http://web.archive.org/web/20130418060437/http://www.hawaii.edu/PCSS/biblio/articles/1961to1999/1999-pornography-rape-sex-crimes-japan.html


ハワイ大学のページをGoogle翻訳などでURLを指定すると、日本語に訳して読めるはずです。


性表現と性犯罪の因果関係に根拠はないに相当する発言は、おそらく「考察(DISCUSSION)」の下記の部分でしょう。

Most significantly, despite the wide increase in availability of pornography to children, not only was there a decrease in sex crimes with juveniles as victims but the number of juvenile offenders also decreased significantly.

私は英語力は弱いですが、単語を調べて日本語に訳したら、下記のような感じになりました。

Most significantly - 特に重要なのは
despite the wide increase in availability of pornography to children - 子どもがポルノを広く入手しやすくなったにもかかわらず
not only was there a decrease in sex crimes with juveniles as victims but the number - 子どもの性被害者数が減少しただけでなく
juvenile offenders also decreased significantly - 少年犯罪者も同様に大きく減少

ポルノが普及したけど、性被害者数も犯罪者数も減少したということ。つまり、少なくとも因果関係はないということが、このページに書いてあります。



追伸

奥村弁護士のページに、さらに掲載されています。
http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20130608#1370575402

2013年4月23日火曜日

性に関する『成人向け図書類等』は『実用書』であり、必要な人に販売・閲覧する『権利』があるのではないか

性に関する図書類等に対する法律の規制として、刑法第175条にわいせつ物頒布に関する条文がある。( 刑法→http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M40/M40HO045.html )
内容は、わいせつな図書類等を頒布・販売したら罰するという内容だ。

わいせつの定義は、昭和32年のチャタレー事件の最高裁判決を元にしている。( チャタレー事件→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6 )

わいせつの三要素を引用する。

  1. 徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、
  2. 且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し
  3. 善良な性的道義観念に反するものをいう

個人的に要約すると「性的興奮・刺激のあるもの」「一般的な人の性的な羞恥心を刺激し害すること」「善良な性道徳に反する内容」になると思う。
でも、これらって成人向け図書類のほとんどにあてはまるもの。それに、これらのわいせつの基準は、主観的で人によって判断が分かれる。

しかも、これらの判断は昭和32年だから、とても古い判例だ。さらに遡ると最高裁判所昭和26年5月10日第一小法廷判決を踏襲したものだから、現代みたいにポルノが普及する遙か以前の古い価値観の定義と言えるだろう。

成人向け図書類だが、これらが視聴者・読者の心身に対して悪影響を与えたかについての客観的な研究・論文を用いて議論したことがあるかについては、日本ではほとんどないのではないだろうか。( 海外の記事でポルノを見たことがない20代の男性を探した結果見つからなかったというものがあり、悪影響も見当たらなかったというものがある→http://gigazine.net/news/20091203_all_men_watch_porn/ )成人向け図書類は多くの人に読まれている現状があるが、それが社会的や人に悪影響を与えた事実があるかといえば、それは報道でも聞かないし、ネットにある統計と時代を進むにつれて普及した成人向け図書類との関係を見れば少なくとも相関関係はないと言える。統計サイトは「性犯罪 統計」で検索できる。強姦認知件数のピークは1960年代で6000~7000件であるが、アダルトビデオが普及した1980年代以降は3000件未満である。


「わいせつ」とされる成人向け図書類等の社会・人に対しての悪影響が、客観的根拠も統計的にもほとんどないというのが私の結論である。
悪影響があるとすれば、性に対して臆病なあまりに性教育が遅れたため、性に対する正しい知識を学習する機会を子どもたちに(加えて大人達にも)与えていないことの方が大きな問題である。その影響で、早く性行為をした方がいいという誤った情報を得たり、援助交際でお金が儲かるといった良くない情報を得たり、誤った避妊方法などの情報をポルノ記事等から得るなど、間接被害を受けているように感じられる。これは、性教育に関して『子どもに学習の機会を与える権利』を大人が奪っているのではないかと考えている。これは、子どもの権利条約の第28・29条に違反するのではないだろうか。( 児童の権利に関する条約→http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html

さらに幅広く考えれば、アメリカ同時多発テロ・東日本大震災などのショッキングな映像への対処や、暴力シーンのあるメディアへの対処を教えるメディアリテラシー教育も含めた、社会生活教科の中で学習すべきものだろう。その意味では、「保健体育」の体育から性教育を切り離し、社会生活一般を学ぶ教科を設けて、「交通安全訓練」「薬物排除啓発」「生活(料理・掃除・洗濯等)」の中に性教育・メディアリテラシー教育を含めるべきと考える。


成人向け図書類等は、個人的には第二次性徴期の到来と同時に、特に男性に必要とされるものだと考えている。なぜならば、第二次性徴期を迎えると同時に、生理的に精子を体外に出す行為である自慰行為をすることが多い。その際に「おかず」となるものを求めるのがほとんどではないだろうか。また、女性も「おかず」を求める事は珍しくない。

私が聞く限りでは、男性はAV・成人向け写真やコミック・画像といったビジュアル系を好み、女性は官能小説などのシチュエーションに対する妄想(?)を好む傾向にあるように感じている。違うかもしれないが。
「おかず」なしで、自慰行為を済ませられる人はいるだろうか。男性の場合は特に大変なことだと思う。



つまり、成人向け図書類等は人間の生理現象に対処するために必要な「実用書」ではないかというのが私の考えだ。生理的にホルモンバランスの関係から、性欲のある若者が必要とする表現物の一つであり、作成・閲覧する『権利のあるものではないだろうか。性ホルモンバランスの関係で性欲が衰えてきた年齢の高い層にはなかなか理解ができないかもしれない。
芸術性云々なんて、人それぞれの主観でしかない。それに、春画などの成人向けの図書類は昔から存在している。( 春画→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%94%BB
人間の生理現象に関わることを考えれば、成人向け図書類は芸術性云々で議論される以前に、人間が生きていく中で人によって必要となる『性』に関わるツールであり、必要である以上、販売・閲覧する『権利』があるのではないか。

成人向け図書類を、嫌がるのに見せるのは強要罪に相当すると思う。しかし、自分が望み、好んで見ている場合は、誰も傷つけていないし、基本的に自分自身への悪影響もほとんどない。
以上の理由から、わいせつ物を刑法で規制する必要はないと考えるため、刑法第175条の存在意義そのものが疑わしいのが私の考えだ。
法的に規制するのであれば、推奨年齢表記の徹底と啓発だろう。


追伸
さらには大人向けの玩具も昔から研究され作られてきたことを考えれば、エロい物に対する探究心の歴史は深いことがわかる(ネットでよく出るのは江戸時代のものがあり、実際にはそれ以前からあると考えるのが自然である)( 張形→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%BD%A2
そのような玩具が作られるくらいだから、エロい本が作られ続けるのは、人として自然なことだろう。

2013年4月18日木曜日

(宗教のような)子ども信仰と児童ポルノ禁止法

児童ポルノ禁止法で、マンガ・アニメ・ゲームも禁止すべきと思っている人は、『子ども』を『神様』として扱っているのではないだろうか。
児童買春・児童ポルノ禁止法の目的は、第一条に書かれてあるとおり、児童への性的虐待・性的搾取をなくすこと。
ところが、規制を推進する側は「権利侵害があるから」というより『子ども(神様)を侮辱する行為は許すな』という『信仰心みたいな心理』で動いているようにしか見えない。それは、妄信だったり、利用していたり。
この子どもに対する信仰心みたいな心理を考えてると、スウェーデンから来日してくださった、シモン・ルンドストローム氏の講演を思い出す。 http://togetter.com/li/355157
この『信仰心みたいな心理』は、思想の一つであり、それを法律で定めて国民全員に押しつけるというのは、憲法19条で保障された『思想および良心の自由』を侵す行為にあたらないだろうか。
また、子どもを神様のように扱うというのは、それ自体が歪んだ考えのように思う。子どもは未完成な存在だろうが、18歳まで親権者の手で保護されようとも、一人の人間として扱われなければならないと考える。
子どもにたくさんの愛情を注ぎ、触れあうことはいいことだ。でも、子どもを権威的な存在とすることが、果たして正しいのだろうか。