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2018年5月9日水曜日

性教育


日本の性教育の方向性として参考になるのは、ユネスコの「国際セクシャリティ教育ガイダンス」だと私は考えています。

性教育 - 国際セクシャリティ教育ガイダンス


日本の性教育充実のハードルの高さは、次の批判動画から認識できると考えられます。

花王=ロリエからだのノート>セックス教育の現実
https://www.youtube.com/watch?v=Ny3tSBdjZvw
【小1に児童ポルノを教えている!!】義家弘介【超人大陸】
https://www.youtube.com/watch?v=bP8kyWtFNlY

内容については次のページに記載されています。

からだのノート おとなになるということ


動画中の義家国会議員の記事がありましたので、掲載します。

性教育教材を“児童ポルノ”扱いする義家参議院議員の主張にツッコミ続出|ガジェット通信 GetNews
http://getnews.jp/archives/247480


このほか、七生養護学校の性教育事件やラブ&ボディBookのことも取り上げたい。

2018年5月8日火曜日

性教育 - 国際セクシュアリティ教育ガイダンス

性教育の教育内容の決定については、ユネスコの「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」に沿うのが理想だが、反発が予想される。
時間割も五教科重視の傾向や道徳教育を押し込める傾向も相まって押し込むのが難しい。
あと、教える大人が恥ずかしがるという点もあるため、対策が必要だ。

<ユネスコの国際セクシュアリティ教育ガイダンスのソース記事>
東京新聞:性教育で申し入れ 国際基準は「幼少期から」 都議の授業批判で識者:東京(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201804/CK2018040702000158.html



『また、純潔教育プログラムでは、若い人たちの間で性行為の開始年齢を遅らせたり、性行為回数や性行為の相手を減らしたりすることはできないことを示すエビデンスも提供している。』
つまり、妊娠や避妊などを教えたら性風俗が乱れる証拠はないと言うことである。

国際セクシュアリティ教育ガイダンスを改定 エイズと社会ウェブ版321 - ビギナーズ鎌倉
http://miyatak.hatenablog.com/entry/2018/01/16/154204



その他記事

【SYNODOS】性教育をアップグレードしよう!――自分自身のからだを守り、人生を選択できる力を育むために/染矢明日香 / NPO法人ピルコン理事長
https://synodos.jp/society/21657

2014年7月20日日曜日

今日(2014-07-20)のメモ・下書き

わいせつについての下書き




わいせつ物頒布等の罪は、性器等を描いた性表現を、売ったり閲覧できる(頒布できる)状態のものを取り締まるものである。

わいせつ - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%84%E3%81%9B%E3%81%A4%E7%89%A9%E9%A0%92%E5%B8%83%E7%AD%89%E3%81%AE%E7%BD%AA

わいせつ三要件
1.通常人の羞恥心を害すること
2.性欲の興奮、刺激を来すこと
3.善良な性的道義観念に反すること
「わいせつ - Wikipediaより引用」


悪徳の栄え事件
「芸術的・思想的価値のある文書でもわいせつの文書として取り扱うことは免れない」
「わいせつ - Wikipediaより引用」

基本的には、芸術性等は関係なく取り締まられる。
現在、わいせつとされているものが流通・展示等が可能なのは、警察側がお目こぼししているためであり、明示的に許可はされていない。

社会風俗を守る目的の法律だが、その有効性には私個人が調べた限り、疑問を感じる。むしろ、わいせつ要件で取り締まることで、本来取り締まるべき性被害への対応がおろそかになるのであれば、わいせつでもって取り締まることは、むしろ個人の権利を守る上では害悪である。

なお、公然わいせつについても、プライベートな私空間であって、その空間にいる全員に合意があっても、複数人が性行為をすると、逮捕される可能性がある。合意があっても取り締まることについては、私個人の考えとしては違和感を感じる。


** ゾーニングについて
目安として定義する。
文化庁管轄の著作権法で定義する。



**性について学習する権利

子どものうちに性に関する情報を規制しても、大人になってからどうしても性に関する情報を得る。
大人になった時に性について無知・誤った情報を得て、誤った情報を実行したり、無知から相手に暴力行為をすることは想像できることであり、問題の先送りの効果しかなく、社会の性道徳・性倫理の悪影響は免れない。
従って、子どものうちに、性に関して学習する権利を有すべきである。

性教育とは、性行為に関する知識だけではない。
・異性との恋愛や結婚のこと
・LGBTのこと
・子どもの心と子育てのこと
・そして、性行為のこと
これらをセットで学ぶことが、人が生きる上で必要な性知識となる。

2013年10月3日木曜日

漫画・アニメ・ゲーム等の規制は、小説などの他の創作物にも悪影響を与えるし、子どもも女性も国さえも守らない

性と創作物・子ども等に関するお話です。
長文・乱文ですが、お付き合いいただければ幸いです。


○日本の文化の危機
最近の傾向として、法律・条例で漫画・アニメ・ゲーム等に対する表現規制を強める動きがある。目的は「子どもを守るため」と言うが、はっきりいってこのような規制は「子どもを不健全にし、子どもが余計に守られなくなるもの」だ。どっちかといえば、「一部の『偏狭な大人』が見て不快な作品をこの世からなくすため」というのが本当の目的だろう。いわゆる、民主主義国家に不可欠な表現の自由に対する挑戦が、近年の表現規制の動きである。
個人的には(意識・無意識に関わらず)「子どもが自分の理解できない遊びをするのはけしからんから」「自分が不快だと思うものを子どもが見るのはけしからんから」という、「大人のわがまま」を通すのが目的だろう。あるいは、行政の利権のためというのもあるだろう。「子どものため」ではなく「大人の自分たちのため」に規制をしようとしているのだ。本当に「子どものため」を思うなら、自分で自分を守れるような施策をすべきで、こちらから提案もしているのに、まったく耳を向けていない。子どもへの性犯罪の半分以上(80%とも言われる)は、親族や身近な人から受けているという事実から目を背けて。

小説には、直木賞作品や村上春樹氏の作品などを読めばわかるが、普通に性行為に関する表現がある。音楽だって、エロい歌詞、暴力的・残虐的な歌詞がある。これらの分野が漫画・アニメへの規制とは無関係でいられるかと思ったら大間違いだ。戦時中の検閲は、「子どもの健全な育成」を目的として、漫画・絵本の規制が始まったが、それを皮切りに映画・音楽と規制は急拡大した。
そして規制を強く望みロビー活動をしているある団体は、漫画・アニメなどの画像だけでなく、音楽・文章も規制すべきだと、はっきり言っている。
今、日本の文化自体が危機的状況にあることをどれだけの人が理解しているだろうか。


○創作物の表現規制・検閲の歴史
戦時中の1938年10月に、内務省図書課が「児童読物改善ニ関スル指示要綱」によって、青少年向け漫画・絵本の規制が始まったことをご存じだろうか。
これは、青少年の健全な育成という名目で、漫画・絵本に対する検閲を行うというものである。
その後、1939年には「映画法」で国益に反する映画が作れなくなった。
1940年には「警視庁興行取締規則」で、演劇・講談などの興行に対する規制が強化された。
1941年からは、浪曲などの音楽・レコードの取り締まりが強化された。

それ以前から、新聞では検閲があり、政府の意向に反する記事は書けなかった。それが、1945年には「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」「日本ノ新聞準則ニ関スル覚書」によってさらに規制が強化された。

当時の検閲は、組織図を確認する限り二つあった。内務省警保局検閲課(図書課)、そして、警視庁特高部検閲課。つまり、検閲で問題があれば、特高に捕まる可能性があった。特高に捕まった人がどのような扱いをされたかは、歴史を調べればわかる。拷問など当たり前で取り調べで死亡することだってあった(蟹工船の小林多喜二は、特別高等警察の取り調べの際に行われた拷問で死亡している)。
そして、今の警察組織も自白に頼った誘導尋問は当たり前で、冤罪も多発している。国際社会からは、まるで中世のようだとバカにされているのが現状だ。つまり、日本の取り調べ・司法は、世界の中でも後進国に位置付けられている状態である。

漫画に対する表現の自由は、昔から対立の歴史だった。
戦争終結は1945年8月である。
詳細は「マンガはなぜ規制されるのか」長岡義幸著が詳しい。
その戦後である1955年あたりで、「日本子どもを守る会」「母の会連合会」などが漫画バッシングをはじめる。ちなみに、「母の会連合会」は、警察官の妻による民間団体。つまり、事実上警察による漫画の規制だったと言える。
そして、警察などの行政・親が考える「健全な作品」以外の漫画に対して、大規模な排除に動き出した。その中に、当然手塚治虫氏の作品も含まれた。
排除の理由は「作中に拳銃が出た」「文字がほとんどなく、効果音ばかりで読書教育に悪影響」「絵が低俗。芸術感覚が麻痺し情操が荒廃する」「漫画を取り上げ、良い本を与えよう」など。こんな理由を見れば、子どもの自主性などまったく無視して、大人が押しつけようとしている。まさに過干渉である(ちなみに、性犯罪者の傾向として、小さい頃に親などから過干渉を受けた人が数多くいることを加える)。
ルパン三世みたいに拳銃が出たり、風の谷のナウシカみたいに文字がほとんどなかった作品を読んだり、あげく北斗の拳みたいに暴力ひしめく作品やらんま1/2など女性の裸がたくさん出る作品を見るなど、様々な漫画・アニメに接してきたが、その世代に子どもだった人の多くはいたって健全に育っている。
だが、そんなことを無視して、「子どもの健全のため」という名目で、1950年以降に次々出来ていった「青少年健全育成条例」の中で、漫画・アニメ等の「事後検閲」が行われていった。それによる出版社側の自主規制で、知らないうちにいくつもの作品が消えていっている。それは、今もだろう。


○創作物を規制することは正しいことか
大人達にとって「良い本」と「悪い本」があって、「悪い本はこの世からなくさないといけない」と思っているかもしれない。だが、それは正しいことなのか?
「悪い本」とは「大人の自分にとって都合の悪い本」ではないか?
作品の中には「暴力」「残虐」「エロいものなどの性表現」があるだろうが、それを単純に「大人が」見たくないからではないだろうか。
第二次性徴期以前(だいたい10歳以前)なら、エロ・グロ作品は見せたくないと私自身も思う。でも、そういった子どもは多くは見てもわからないし、わかったとしても他人に傷つけない程度に真似する程度で、しかも大きな影響を与えることはない。それより何より、子ども自身が虫を殺したり、子ども同士で喧嘩(暴力行為を)したり、子どもが裸になったり下半身を出してたりなど、現実世界の方でエログロ暴力行為をしている。
第二次性徴期以降になると、今度は青少年側が好んで刺激の強い作品を求めてくる。それは、自我の目覚めでもあり、子どもが自立していく過程でもある。その子らが「暴力」「残虐」「性表現」を見ることは、個人的には予防措置をとれば問題ないと考えている。その予防措置とは、「メディア教育」と「性教育」だ。そして、これらの教育に対して否定的なのも大人側だ。
つまり、「有害図書」に相当する漫画・アニメ・ゲームが出ることで問題が起きているのは「子ども」ではなく「大人側」だ。よく考えて欲しい、漫画・アニメ・ゲームの影響で他人を殺したとか、性犯罪をしたのが明確になっている事件なんて、今までニュースで出ただろうか。どちらかといえば次のような声が主だろう。
 ・「あんな卑猥なものを置くなんてけしからん。子どもに悪影響だ」
 ・「こんな暴力表現・残虐表現があったら子どもが真似したら怖い」
これらは「過敏に反応する大人の声」ばかりだ。
先ほどの声は、次のように言い換えられる。
 ・「あんな卑猥な物を(自分は)見たくない」
 ・「こんな暴力・残虐表現を見てると(自分の)気分が悪くなる」
つまり、「子ども」を利用して「大人である自分」にとって都合の悪い物を排除したいだけである。

芸術性云々も、私から言わせてもらえば、「個々人が持つ『感動』を主観的に評価するもの」だ。「個人の主観」だから、人によって芸術性なんて変わる訳で、それで規制の理由にすること自体間違っている。
政治的主張もそうだ。創作物にしても、どのような文章においても、いつ何時に作中に政治的な意味合いを含む内容が出るかなんて、実際はわからないものだ。その意味においては、あらゆる作品の表現の自由を守らなければ、「表現の自由で守るのは政治的主張だ」と言われても、説得力を欠けてしまう。

それに、ベルギーでの調査でも、日本の警察とハワイ大学の共同調査にしても、エロい作品からの悪影響は(子どもを含めて)ないとの調査結果が出ている。暴力表現についても、アメリカのハーバード大学などの調査で、短期的には真似をすることはあっても、長期的な悪影響はないとの結論が出ている。
あなたは、エロい作品を見たり、暴力・残虐的な作品を見て、自分が不健全に育ったと思いますか?自分の実際の育った環境が悪かったのを創作物の影響だと責任転嫁していませんか?


○創作物における性愛・エロスの必要性
私自身、小説については高校生の頃から本格的に書き始めている。
そこで、私自身は「男女の性について書く」ということが、作品を描く上不可欠であることがわかった。
人は生きていき、男女が出会って本当に心から通じ合って付き合う中で、性というものはどうしても意識せざるを得ないのだ。だから、個人的に性行為をしていなかったということで「本当の性愛が描けない」という悩みもあり、悔しかったがその部分は飛ばして描かざるを得なかった。そして、当時の私自身も性に対して後ろめたさを感じていて、公表時には避けたいと思っていた。
でも、本当に人が恋愛するのに、性を避けることなんてできるのか?
好きな人と出会い、手をつなぎ、キスをして、好きな相手と抱き合う。そして、裸になって抱き合う。
好きな人がいたら、どこまでも近付き、抱き合いたいと思わないのか?
思わない人は、本当に好きな人に本心で抱きしめたことがあるのか?
自分はある。目の前に、母が、父が、弟が自殺して、次に自殺してもおかしくない女性がいて、守りたくて抱きしめたことがある。その時に痛感した。好きな相手に肌で触れて、抱きしめることで、本当の意味で相手への愛おしさを全身で感じることができるんだ。
そんなことを経験していれば、性愛というのは忌避するものではなく、もっと身近で大切にすべきものだとわかる筈だ。
話がそれるが、子どもがどれだけ思慮深い面があるか知っているだろうか。私は高校生の頃にある施設でパソコンで遊んでいたのだが、その自分の横に小学生の女の子がちょこんと座って私がプレイするゲームを見ていることがあった。その女の子は、私にいろいろなことを話していたが、もうはっきり覚えていないが、その子の話をずっと聞いていると、すごいしっかりとした意思・意見を持っていることを痛感させられて、私は凄いショックを受けた。今(2013年)でいえば、春名風花ちゃん(はるかぜちゃん)がしっかりとした意見をツイッターで発言して、ませているとみんなが叩いているが、はっきり言って子どもをまったく理解していない。子どもは「一人の個性・思想・魂を持つ、大人と同じ一人の人間」だ。子どもを下に見ている大人は、不勉強な愚か者だ。
話を元に戻す。
自分の少ない恋愛経験の中で、性愛を通じて、相手をよりいとおしく感じられるようになるのを実感している。言葉だけという上辺の恋愛では、人は本当に相手を愛することは難しい。
別にセックスだけが性愛ではない。抱きしめてもいい。キスをしてもいい。そういった愛情表現で互いを確かめ合えれば、それだけで互いの絆はより強固になる。それは、小さな幼児も、年配のご老人もそうだ。恋している好きな人と抱きしめあえたら、嬉しくないだろうか。
そして、性欲を持つ第二次性徴期以降の青少年から性欲が衰えるまで、性行為を通じて相手と肌を重ねたい人は多いのではないだろうか。
その真実を小説に描くことの何が悪いのか。なぜ、その感覚を描くことを禁忌にしたいのか。
そして、なぜ漫画・アニメ・ゲームで性愛・エロスを描くことが悪いことなのか。
自分には、大人が自分が恥ずかしいことだから、子どもに性愛について教えること(性教育)をサボっているだけにしか見えない。実際は教えることを恐れているだろうが。


○性教育の充実の必要性
青少年はみんな性愛を知りたがり、自分の体の変化に悩んでいることを理解しないといけない。
大人は初潮・精通についてきちんと教えられるか?
子どもがそんな場面にあったら、どれだけショックを受け、うろたえるか知っているか?
私は親に話ができなかった。性教育で詳しい話を聞かないで精通が来たから、知識もなかったために、精神的ダメージは大きかった。
今の性教育は、子どものためになっていない。
「寝た子を起こすべきでない」という人がいるが、私から言わせれば、第二次性徴期に入れば「いずれみんな寝た子は起きる」のです。
援助交際(売春)の話は、週刊誌やテレビニュースなどを見たり、友達と話をしていればその知識は入ってくる。ならば、その知識が入る前に危険性も含めて学習すべきなのに、それを学ぶ機会があるという話は私の耳に入ってこない。援助交際(売春)の危険性をあまり知らない援助交際で大きなお金が手に入ることを知れば、お小遣いがほしい、家計が苦しいという理由で、援助交際に走る少女が出て当たり前だ。そのような少女をたくさん生み出しておいて、「援助交際による少女の性被害が増えている」と言うのはおかしな話である。根本的には性教育で援助交際の危険性とお金が欲しい時の対応について学習できていれば、少女の売春はかなり抑えられるはずだ。
「エロいことを知らなければ、エロいことはしない」というのは、青少年にはまったく通用しない考えだということを理解すべきだ。性教育をまったくしないで生徒の10人に1人が妊娠したり性病が他の地域より圧倒的に広まった、テキサス州ラボックの例を知るべきだ。
性について真正面に考え、性教育を、身体の成長に関する知識や性感染症の知識だけでなく、恋愛に対する基本姿勢、妊娠した時に考えないといけない対人面・経済面・法律面の問題、性犯罪・性暴力・性虐待とは何で通報先はどこか、性行為の仕方などをきちんと学ぶ必要がある。


○性が身近な社会の方が男女平等であり、性が抑圧的な社会では父権社会である
特に最後の性行為の仕方を学ぶなんてけしからんと思う人がいるだろう。だが、性行為の仕方をしらなければ、大人になってから赤ちゃんを作る際に、女性にひどい苦痛を与えることになる。それは、性を通じた暴力だ。それより、むしろ男女間が肌を重ねて幸せを感じながら性行為をした方が健全だ。「性行為で快楽を求めるのは卑猥でけしからん」という人は、女性が赤ちゃんを作る際に性行為で苦痛に何度も耐えることを強いることが本当に正しいのかを考え直して欲しい。性行為で、苦痛を感じることと、快楽を感じることと、どちらが正しいのかをよく考えてもらいたい。
また、女性に苦痛を強いて赤ちゃんを産むというのは、女性の地位を落とす行為だと考えている。性について抑圧的な社会(例えばイスラム社会など)では、女性の地位が低い父権社会が圧倒的に多いという事実がある。逆に、昔の夜這いのあった日本の社会においては、女性がある一定の地位にあり、比較的女性の権利が守られ大切にされてきた歴史がある。江戸時代の三行半の風習などは、特に女性が離婚を申し込む上で女性が比較的有利に働いていた。つまり、男性が女性を抑圧するような社会ではなかった。
では、アダルトビデオが普及した今、女性の地位が落ちたかといえば、むしろ地位は向上しているように見える。AV女優が堂々と一般のテレビ番組に出演できるようになっているのは、よくよく考えれば女性の地位が向上しているように思える。逆に女性アイドルの方が男性が女性にアイドル像を押しつけてる感じで、父権的ではないだろうか。
それに、女性には生理があり、生理期間中の不快な症状で、ストレスをぶちまけられることがあることを男性が理解できれば、多少は女性にやさしくなれると思う。そして、第二次性徴期を過ぎた男性は性欲がすごく強くなることを女性側も理解してもらえると、助かる。


○児童ポルノ禁止法の目的とは
では、児童ポルノ禁止法の趣旨・目的を説明する。
法律の略称は、正しくは児童買春・児童ポルノ禁止法である。
この法律ができたのは、発展途上国の児童売春街で、児童による売春を通じ、性的虐待による死亡が発生したのが発端である。
つまり、児童への性的虐待という実際の人権侵害が発生したため、子どもの生きる権利を守るために運動を起こし、児童の権利を保護する目的で、この法律が世界的に作られることになった。
つまり、「児童の人権保護のための法律」である。
なので本法律の趣旨は、児童に対する性的虐待、児童の人身売買や誘拐など、児童に対する著しい人権侵害から保護するのが目的である。
児童ポルノがなぜ良くないのかは、次の理由である。

 ・児童ポルノである実写の画像(静止画・動画)が犯罪を行うことで作られた成果物であり、犯罪証拠物である
 ・児童ポルノが流通することがビジネスとなれば、さらに実写の児童ポルノ作品への需要が高まり、児童への性的虐待を助長する

つまり、「実写画像を通じて実際に児童への性犯罪を行っている」「ビジネスとなると児童への性犯罪を幇助することになる」のである。
なので、児童への性的虐待を撮影した児童ポルノは、取り締まることが妥当なのである。
ただし、国際刑事警察機構(ICPO)が「児童ポルノ」という単語自体が誤解を招くということで、児童性虐待成果物(CAM:Child Abuse sexual Material)を用いるべきと、各国に働きかけている。
理由は、仮想と現実の犯罪とを混同することを問題視しているからである。

だが、日本の児童ポルノ禁止法は、「見る側が感じること(思想)」から規制を行っている。だから、犯罪行為でない自分の子どもの裸の写真さえも児童ポルノとなる可能性がある。単純所持処罰の規定が盛り込まれれば、自分の子どもや自分の子ども時代の写真・動画を持っていたら、逮捕されてもおかしくない。
しかも、対象に漫画・アニメ・ゲームを加えれば、自分が落書きで裸の写真を描くことさえ犯罪行為になってしまう。
「仮想・現実にかかわらず児童の裸を『見る』のはけしからんから処罰すべき」というのは、見る側「思想」を取り締まるという考えだ。「エロい児童の絵を描くなどけしからん」というのも、本質的に描く人の「思想」を取り締まる行為である。つまり「道徳法」の視点で「治安維持法」と何ら変わりがない。しかもこれらは、本質的に児童の性被害者保護の考え方ではない。つまり「実児童の人権保護の法律」となっていない。
だから、法解釈として「実児童への性的虐待を行っている画像」を取り締まるようにしないと、世界的な児童ポルノ規制と乖離した古い考えでは、児童への性犯罪とは無関係な人ばかりを逮捕するような児童ポルノ法となってしまうだろう。


○創作物の児童の出るエロ作品を規制しても児童性犯罪は減らないか助長する
欧州の各地では、漫画などの創作物が児童ポルノにあたるかについて、裁判所が相次いで「漫画は児童ポルノにあたらない」という判決を出している。
また、韓国においても「漫画は児童ポルノにあたらない」という判決がでている。
成人向けのエロ漫画においては、未成年に見える男女が性行為をするものは当たり前に何年も出ている。しかも、その数はどんどん増えており、ネットにも至る所にある。だが、そのことによって性犯罪が増えたかといえば、逆に近年は児童への性犯罪は成人向けコミックが出る前の小学生458人・幼児96人(1965年)から、小学生45人・幼児3人(2012年)と10倍以上も減っている。
成人向け漫画が出始めたのは1970年代からであり。本格的に普及しだしたのは1980年代からである。
つまり、エロ漫画などの創作物と児童性犯罪とは、少なくとも無関係である。
逆に、統計情報を調べると、エロ作品の普及と性犯罪は逆相関関係で、エロ作品が普及すると性犯罪が減り、エロ作品が取り締まられると性犯罪が増えるような傾向がある。
事実、韓国において2000年に青少年保護法によってエロ作品に対する締め付けを強化した後、少なくとも4件の大きな性犯罪事件が起きており、日本にもそのニュースが伝わってくる位である。
昨年、さらに青少年保護法を強化した結果、実際の性犯罪をしていない、エロ作品を見た多くの青少年が数千人規模で逮捕される事件が発生して社会問題化した。逮捕された青少年は、就職ができずに苦しんでいる。
スウェーデンでは、漫画の児童ポルノに関する裁判で、警察側からの異例のコメントとして、創作物も児童ポルノとして規制することは、実際の児童性犯罪取り締まりの時間を削る行為であると紹介していた。
つまり、創作物のエロ作品の取り締まりに力を入れることで、実際の児童性犯罪取り締まりに悪影響を及ぼすことになりかねないのである。なぜなら、創作物のエロ作品を探すのはデスク上でネットを自動プログラムなどを使えば容易に探し出せるし、流通でチェックをかければエロ作品を調べることも可能だからだ。そして、創作物のキャラクタが児童かは捜査官の主観で決めることができる。だから逮捕は容易である。
しかも、創作物を見ることで性犯罪を助長するということについては、科学的に証明されていない。つまり、無意味なことを理由に逮捕しているのである。
そうして無意味な創作物への捜索に人・時間をかけてしまい、逆に実児童への性被害へのリソースが減れば、性犯罪者が野放しになるケースが多くなり、児童性犯罪を助長することになってしまう。これは、実際の性犯罪者を喜ばせるようなことだ。


○少子化問題
近年、少子化で政府の税収が減って大変だという。でも少子化は止まる気配がない。
日本の少子化の一因は、性情報を過度に「有害情報」として扱い、性教育でも恋愛・性行為を教えず、規制しているからではないか。
性教育等で異性のことや恋愛の仕方の基本についてきちんと知る・教えなければ、少子化が進んでしまって当たり前だ。授業でわざわざ恋愛について教えるなんて、馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、お見合いも少なくなった現代において、恋愛ができなければ結婚もできない。つまり、子どももできない。つまり、国を維持する上で必要なカップルを作るために恋愛は学ばなければならない必要な知識である。
「異性と付き合うことをしないから、一人で暮らして異性に煩わされず自由でお金に困らないから嬉しい」という言葉を何度聞いただろうか。
異性のことやつきあい方を知らずに何度も別れてしまい、あるいは異性のことがわからず不安で付き合うこともせず、結局時間ばかり過ぎて恋愛・結婚をあきらめてしまっている人が多いのが現状なのだから、いくら保育所をたくさん作ったりしても少子化に歯止めはかからないだろう。性に過度に抑圧的な国を作ることは、結局少子化で国を滅ぼすことになるだろう。それとも、移民を受け入れることがお望みだろうか。


○最後に
エロい作品に嫌気を差す人はいるだろう。
でも、エロい創作物に対する需要は確実に存在し、その恩恵を享受している人はたくさんいるのは事実だ。恥ずかしいから誰も言い出せないだけだ。
小学生に成年コミックやAVはけしからんと思う人は多いだろう。私も親になれば小学生には早いと思うだろう。
だが、中高生の特に男子がエロ漫画やAVを見るのは本当に不健全なのか。性欲が有り余る第二次性徴期以降に、性的なものに触れないことが本当に健全なのだろうか。
性・暴力・残虐表現のある作品は、大人が見てショックを受けることはあるだろう。でも、子ども自身はそれを欲する時が来る。しかも、生理的にである。

性に関心を持たない人間は、健全なのか?

性に関心を持たないということは、赤ちゃんを産む行為、性行為に関心を持たないということだ。それは人として壊れていないだろうか。
性に関心を持たないということが健全というなら、人は滅ぶべきだということだ。なぜなら、赤ちゃんを産まないことを推奨する行為だからだ。

性を忌避せず、もっと真正面から向き合って考えてみるべきではないだろうか。
エロいものについても、一定のマナーが保たれていたら容認するくらいの寛容さを持っていた方が、幸せではないだろうか。
性について正しい知識を持ち、性情報とも適切に付き合い、男女が性のことも含めて互いに幸せになれるような社会を作った方が、日本の将来のためにもなるのではないだろうか。

2013年6月24日月曜日

【メモ】子どもの成長過程の目線から、何が必要で何が駄目かを考えてみよう

根本的なことかもだけど、子どもにとって不健全なこと、子どもに害のあることって何かを列挙したものってあるのだろうか。
子どもの心身の発達と、その際に子どもが必要とすること・気をつけるべきことを列挙できたら、年齢別にどのような状態が健全であるかの目安はできると思う。もちろん、何らかの障害があれば、それは例外ではあるが、その例外を考えるきっかけにもなるだろう。
そもそも、大人目線だけで「これはけしからん」で図書類の規制の判断をするからおかしなことになるわけで、子供の成長に合わせて考えたら、大人にとって不快でも(性教育等の)教育とセットで閲覧できるメディアを増やすのが、本当の意味で健全な子どもが育成できると思う。
子供の心身の成長を考えたら、18歳未満を一緒くたにして、図書類等を規制すること自体に無理があるんだよ。



他に自分のツイートで気になったの


2013年6月24日


「けしからん」というのは、他人の権利侵害がない限り主観的な意味合いが強く、ほとんどが「自分(達)は嫌い」と同じ意味になると思う。だから「けしからんから規制・禁止」というのは「自分(達)は嫌いだから規制・禁止」と同じになってしまうと思う。それは正しいのか?


2013年6月26日


「性道徳」で検索すると、大抵「純潔主義」「倫理」に行き着く感じ。あと、宗教的な考えも出てくる。
なぜ純潔でなければならないのか、なぜ子作り以外の性行為が倫理的に問題があるのかとなると、理由で出るのは予防方法のある「性病の問題」くらい。
大抵が「けしからん」のような感じ。
「けしからん」の感覚が、戦時中の「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」のような精神論の匂いがするように私は思う。そして、「けしからんことをする者」に厳罰を求める(まるで非国民がそこにいるように)。そんな「正義を振るう自分」に酔っているのかもしれない。
性について、感情論の「けしからん」で罰しようとする限り、性に関する問題は解決しない。性は、身体の成長と密接な関係があるため、医学的・システム的に考えていかないと、性の問題は解決しない。

私の知る限り、性の問題について改善されているところは、性教育やコンドーム・ピルの普及などの教育・社会システムから性に関する対策が整えられた国で、性に関して問題の発生しているところは、けしからん性情報の規制や性教育をしていないなど感情面で対策された国や地域。

だから「性道徳」「性倫理」「けしからん」という言葉で、性について安易に対処することは、性に関する問題をよりひどくしかねないと思っている。




2013年6月23日日曜日

子ども、恋して、性に触れる・・・人は生まれてから死ぬまで恋をする

前もって言うけど、30歳超えても童貞だったから。恋は今も昔も苦手だから。

人はいつから恋をするようになるのか。私は、たぶん産まれて家族以外の誰かと出会うようになってから恋をする可能性があると思っている。

私は、幼稚園児の頃(それよりも前からかな)、女の子に恋をしてた。そして、小学校一年生の頃に女の子からラブレターをもらっていた。あと、テレビのバラエティー番組を見ている時に、幼稚園児の子が好きな子にキスをするのを見たことがある。ネットで検索すると、保育園児でもキスをするらしい。
これは偶然だけど、小学校2年生くらいに、横をふっと見ると偶然並んでた女の子の胸を見てしまったことがあって、ドキッとして目をそらしたことがある。このことから考えても、少なくとも自分には小学校低学年から性的な好奇心があったと思っている。
ネットで調べると、小学校入学した位からエッチなことに興味を持つことは珍しくないことらしく、早いと幼稚園児くらいから性的なものに興味を持つらしい。つまり、第二次性徴期のずっと前から、性的なものに興味を持つことは当たり前にあるということ。

だからといって、小学生にむやみやたらとポルノ画像を見せることがいいかと言えば、そんなことは(特に現状は)するべきではないと思う。自分の幼児期は、上半身裸の女性のポスターがどこかの店内にあったけど、恥ずかしくて見ていられなかった。
中高生でのポルノの扱いは極めて微妙だと思う。性教育で「子育てができる社会人になるまで、セックスはすべきでない」と教えるまで、建前としてポルノは見ない方がいいとは思う。でも、現実社会の中高生で性行為をする子がいる以上、早めに「社会人になるまではセックスするな」と教える必要がある。
なぜ、中高生でセックスをする子が出てくるかといえば、性メディアの影響もあるだろうが、男性の場合、性欲を司るテストステロンの働きが急増し、18~20歳にほぼピークに達するから。女性の場合はゆるやかに上昇するが(詳細は不明だが、副腎からテストステロンの分泌はあるし、女性ホルモンのエストロゲンが分泌されると性に対する抵抗感を和らげる)。性ホルモンバランスの面から見ても、中高生はセックスする可能性がある。
実際、援助交際(売春)をする女子中高生は、報道を聴く限り後を絶たない。セックスをする男子中高生もおそらくいるだろう。
私が、「中学生の頃にセックスしたことがある」と聞いた相手は、どう見ても当時不良学生の典型(たぶん、暴走族に入ってたと思う)で、成年向けコミックやゲームとはほとんど無関係にしか見えなかった。
つまり、どう転んでも小学校高学年以前には「社会人としてお金を稼ぐ前に、AV・ポルノ画像・成年向けコミックやゲーム等の真似したりして、セックスはしないこと」ということを性教育等で教えて、18歳未満の性行為をする人を減らす努力は、本来必須なのである。
そうした教育もしないで「中高生がポルノ等を見ている。けしからん。規制しろ。」と言っても、子どもが性的に健全に育つはずがない。たとえ中高生からポルノを完全にシャットアウトできたとしても、本能としての性欲は、どこかにはけ口を求めていく。(前出で、もうそのはけ口は示された訳だが)
つまり、中高生年代でポルノをシャットアウトすることは、(医学・生理学的に)性ホルモンバランスの面から考えると、極めて危険に見える。性欲と欲求不満が重なって、目の前に異性がいたら…。だから、代替手段としてのポルノというのは、特に男性については個人的にありだと考えている。
もちろん、女子中高生もなんらかのおかずみたいな存在はあるべきだと思う。

メディアからの性情報の害悪性を指摘する人がいるかもしれない。でも性に限らず、あらゆる情報には良い面も悪い面もある。だから、性情報の一面としてのわずかな害悪性をもって規制をかけることは、自分が無知であることをさらす行為だろう。
あるいは、無知でいるふりをして、規制を達成させるかもしれない。

人は生まれてすぐに恋をする可能性を持っている。生まれてから死ぬまで恋をする可能性があるんだ。そして、いつ性に関心を持ってもおかしくない。だから、性教育に早すぎるというのは本当はない。当事者の子どもたちの多くは、性に関する正しい知識を求めていると思う。
恋をしている(子どもを含めた)人たちは、相手を性的に見ているのは間違いない。だって、相手に触れたいから、相手の手を握りったり腕を組みたいから、キスしたいから、抱きしめたいから…

2013年6月18日火曜日

中江みかよ先生の「小学生のヒミツ」第1巻の感想

中江みかよ先生の「小学生のヒミツ」第1巻読みました。掲載雑誌は講談社の「なかよし」です。5話ありまして、うち4話が性教育の範囲に絡むものだと思います。ただ、この作品は性教育作品というより、女子小学生が生活する上で悩んでいること全般のことを取り上げてるものと思っています。
以下、若干ネタバレありですので、要注意。






2013年4月25日木曜日

『科警研とハワイ大との合同による「性表現と性犯罪の因果関係に明確な根拠は無い」とした調査結果』のソース

『科警研とハワイ大との合同による「性表現と性犯罪の因果関係に明確な根拠は無い」とした調査結果』のソースについて、調べました。

ソースは、ハワイ大学のページにありました。
http://www.hawaii.edu/PCSS/biblio/articles/1961to1999/1999-pornography-rape-sex-crimes-japan.html

念のため、魚拓も取ってあります。
http://megalodon.jp/2013-0425-2250-39/www.hawaii.edu/PCSS/biblio/articles/1961to1999/1999-pornography-rape-sex-crimes-japan.html

http://web.archive.org/web/20130418060437/http://www.hawaii.edu/PCSS/biblio/articles/1961to1999/1999-pornography-rape-sex-crimes-japan.html


ハワイ大学のページをGoogle翻訳などでURLを指定すると、日本語に訳して読めるはずです。


性表現と性犯罪の因果関係に根拠はないに相当する発言は、おそらく「考察(DISCUSSION)」の下記の部分でしょう。

Most significantly, despite the wide increase in availability of pornography to children, not only was there a decrease in sex crimes with juveniles as victims but the number of juvenile offenders also decreased significantly.

私は英語力は弱いですが、単語を調べて日本語に訳したら、下記のような感じになりました。

Most significantly - 特に重要なのは
despite the wide increase in availability of pornography to children - 子どもがポルノを広く入手しやすくなったにもかかわらず
not only was there a decrease in sex crimes with juveniles as victims but the number - 子どもの性被害者数が減少しただけでなく
juvenile offenders also decreased significantly - 少年犯罪者も同様に大きく減少

ポルノが普及したけど、性被害者数も犯罪者数も減少したということ。つまり、少なくとも因果関係はないということが、このページに書いてあります。



追伸

奥村弁護士のページに、さらに掲載されています。
http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20130608#1370575402

2013年4月23日火曜日

性に関する『成人向け図書類等』は『実用書』であり、必要な人に販売・閲覧する『権利』があるのではないか

性に関する図書類等に対する法律の規制として、刑法第175条にわいせつ物頒布に関する条文がある。( 刑法→http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M40/M40HO045.html )
内容は、わいせつな図書類等を頒布・販売したら罰するという内容だ。

わいせつの定義は、昭和32年のチャタレー事件の最高裁判決を元にしている。( チャタレー事件→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6 )

わいせつの三要素を引用する。

  1. 徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、
  2. 且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し
  3. 善良な性的道義観念に反するものをいう

個人的に要約すると「性的興奮・刺激のあるもの」「一般的な人の性的な羞恥心を刺激し害すること」「善良な性道徳に反する内容」になると思う。
でも、これらって成人向け図書類のほとんどにあてはまるもの。それに、これらのわいせつの基準は、主観的で人によって判断が分かれる。

しかも、これらの判断は昭和32年だから、とても古い判例だ。さらに遡ると最高裁判所昭和26年5月10日第一小法廷判決を踏襲したものだから、現代みたいにポルノが普及する遙か以前の古い価値観の定義と言えるだろう。

成人向け図書類だが、これらが視聴者・読者の心身に対して悪影響を与えたかについての客観的な研究・論文を用いて議論したことがあるかについては、日本ではほとんどないのではないだろうか。( 海外の記事でポルノを見たことがない20代の男性を探した結果見つからなかったというものがあり、悪影響も見当たらなかったというものがある→http://gigazine.net/news/20091203_all_men_watch_porn/ )成人向け図書類は多くの人に読まれている現状があるが、それが社会的や人に悪影響を与えた事実があるかといえば、それは報道でも聞かないし、ネットにある統計と時代を進むにつれて普及した成人向け図書類との関係を見れば少なくとも相関関係はないと言える。統計サイトは「性犯罪 統計」で検索できる。強姦認知件数のピークは1960年代で6000~7000件であるが、アダルトビデオが普及した1980年代以降は3000件未満である。


「わいせつ」とされる成人向け図書類等の社会・人に対しての悪影響が、客観的根拠も統計的にもほとんどないというのが私の結論である。
悪影響があるとすれば、性に対して臆病なあまりに性教育が遅れたため、性に対する正しい知識を学習する機会を子どもたちに(加えて大人達にも)与えていないことの方が大きな問題である。その影響で、早く性行為をした方がいいという誤った情報を得たり、援助交際でお金が儲かるといった良くない情報を得たり、誤った避妊方法などの情報をポルノ記事等から得るなど、間接被害を受けているように感じられる。これは、性教育に関して『子どもに学習の機会を与える権利』を大人が奪っているのではないかと考えている。これは、子どもの権利条約の第28・29条に違反するのではないだろうか。( 児童の権利に関する条約→http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html

さらに幅広く考えれば、アメリカ同時多発テロ・東日本大震災などのショッキングな映像への対処や、暴力シーンのあるメディアへの対処を教えるメディアリテラシー教育も含めた、社会生活教科の中で学習すべきものだろう。その意味では、「保健体育」の体育から性教育を切り離し、社会生活一般を学ぶ教科を設けて、「交通安全訓練」「薬物排除啓発」「生活(料理・掃除・洗濯等)」の中に性教育・メディアリテラシー教育を含めるべきと考える。


成人向け図書類等は、個人的には第二次性徴期の到来と同時に、特に男性に必要とされるものだと考えている。なぜならば、第二次性徴期を迎えると同時に、生理的に精子を体外に出す行為である自慰行為をすることが多い。その際に「おかず」となるものを求めるのがほとんどではないだろうか。また、女性も「おかず」を求める事は珍しくない。

私が聞く限りでは、男性はAV・成人向け写真やコミック・画像といったビジュアル系を好み、女性は官能小説などのシチュエーションに対する妄想(?)を好む傾向にあるように感じている。違うかもしれないが。
「おかず」なしで、自慰行為を済ませられる人はいるだろうか。男性の場合は特に大変なことだと思う。



つまり、成人向け図書類等は人間の生理現象に対処するために必要な「実用書」ではないかというのが私の考えだ。生理的にホルモンバランスの関係から、性欲のある若者が必要とする表現物の一つであり、作成・閲覧する『権利のあるものではないだろうか。性ホルモンバランスの関係で性欲が衰えてきた年齢の高い層にはなかなか理解ができないかもしれない。
芸術性云々なんて、人それぞれの主観でしかない。それに、春画などの成人向けの図書類は昔から存在している。( 春画→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%94%BB
人間の生理現象に関わることを考えれば、成人向け図書類は芸術性云々で議論される以前に、人間が生きていく中で人によって必要となる『性』に関わるツールであり、必要である以上、販売・閲覧する『権利』があるのではないか。

成人向け図書類を、嫌がるのに見せるのは強要罪に相当すると思う。しかし、自分が望み、好んで見ている場合は、誰も傷つけていないし、基本的に自分自身への悪影響もほとんどない。
以上の理由から、わいせつ物を刑法で規制する必要はないと考えるため、刑法第175条の存在意義そのものが疑わしいのが私の考えだ。
法的に規制するのであれば、推奨年齢表記の徹底と啓発だろう。


追伸
さらには大人向けの玩具も昔から研究され作られてきたことを考えれば、エロい物に対する探究心の歴史は深いことがわかる(ネットでよく出るのは江戸時代のものがあり、実際にはそれ以前からあると考えるのが自然である)( 張形→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%BD%A2
そのような玩具が作られるくらいだから、エロい本が作られ続けるのは、人として自然なことだろう。

2012年9月27日木曜日

性暴力・性虐待加害者にとって、性教育をされていない子どもは格好のターゲットである

性暴力・性的虐待をする事にとって、性教育などを通じて、下記の内容を子どもに知られることは、大きな恐怖を感じると思われる。
  • 何が性行為・性的接触なのか
  • 性行為や性的接触は、どのような人とすべきなのか
  • 性行為をする際に気をつけるべきことは何か(性病・避妊について)
  • 何が性暴力・性虐待になるのか
  • 性犯罪・性暴力・性虐待に遭ったとき、どこに・誰に言えばいいのか
逆に言うと、これらを教えていない現状は、子どもが性的被害に遭っても、それを理解していなかったり、通報先を知らなくて暗数化してしまうことになる。この現状は、性加害者にとって、性暴力・性的虐待を行いやすい環境と言える。
上記の各項目を学校の性教育において必修化し学ぶ事ができれば、子どもの性被害防止に極めて有意義であり、また、性被害に遭ったとしても、通報場所を教えることで暗数化しづらくすることが可能となる。
性暴力・性虐待については、低年齢層に対しても行われることがあるのが現状である。しかも、加害者の多くが親族・教員など身近な人が多い。したがって、義務化した上で小学校低学年など、ある程度低い年齢で学習して性被害防止に努めるべきと考える。

「性的なことを教えたら、安易に性行為をするようになってしまう」という声があるかもしれない。これについては、年齢に応じて適切な内容の性教育を教えるべきだと考える。

ぶっちゃけて言うが、ポルノ情報に関しては、小学校高学年から中高生にかけて見る子は多い。それは、子ども自身が求めている情報であるからである。見ることの害悪性はあるかもしれないが、それ以上に当事者の子どもは性情報を求めているのである。条例で禁止しても、何らかの方法で求めてくる。ならば「本やネットにある性情報等は、何も考えないで真似をしてはならない。本などを真似て人を傷つけてはならない」と教えることが大切である。これは、学校の性教育などので、要約すれば短い時間で説明できる大切な内容ではないだろうか。
それに、情報の有害性は、ポルノ以外にもあらゆるものにある。ならば、「フィクションにおいて、相手を傷つける行為をしてはならない」という学習・啓発活動を行うことで、その有害性を取り除くことこそが大切ではないか。ポルノ・暴力表現の有害性ばかり訴えて、特定表現を殲滅させるようなことは、検閲を認めて自滅するような行為であり、逆に不健全である。

性加害者にとって、性的ないたずら・性犯罪・性虐待に及ぶ際に特に嫌がると思うのが、子ども自身が相手からされる性的な行為を理解し、それがしてはいけないと察して、声を出したりして嫌がったり、逃げたり、通報されることであろう。
つまり、性教育で性暴力・性虐待・性犯罪を学ばれることが、性加害者・性犯罪者にとって、とても嫌がることではないだろうか。
ならば、性加害者にとって嫌がることを子ども自身が学び、子ども自身が自分で自分の身を守る力(エンパワメント)を身につけることが大切になると考える。
そして、自分で自分の身を守る力は、自立する力ともなり、責任を持てる子どもを育てることにもつながる。

2012年4月20日金曜日

性犯罪被害の話、他(2012-4-20)

性犯罪被害に遭った話

彼女から、車で自宅に送迎の最中に、性犯罪被害に遭った事について、いろいろ聞けた。
小学校低学年の頃、知らないおじさんが小学生の彼女の手をとって、おじさんの股間を触らされたということがあったらしい。しかし、当時その行為を理解できなかったとのこと。たぶん性犯罪として通報してないだろう。
加害者が被害者の手を掴んで性器を触らせる等の性暴力を理解できなかったが故に、通報しないで暗数になったケースが結構あるのではないだろうか。(小学生低学年だから15年くらい前の1990年代後半かな)
同じく小学校低学年の頃、知らないおじさんに追い回されたこと。そのおじさんが、しばらく自宅の周りをうろついていたということ。
高校生の頃、雨の日にバスに間に合わないでずぶ濡れになった時、知らない男性が車の中から声をかけて来て、その車に乗ったらタオルを渡され「きれいだから」と言って拭いたが変な匂いがした。今思えば、あれは精液のかかったタオルだったみたい。(僕と出会って初めて被害に遭ったのを理解)
ある仕事関係の人から、何回もエロい写真を撮影されたこと。しかも、胸など体を触られた。彼女は気が弱い上に当時は新人で、取引先の人なので性暴力のターゲットとして狙われたかも。彼女の妹弟とも会っているが、妹からは「あの人怖い」と言われ、弟も「嫌い」と言っていた。
最近だと、平日の昼間に駐車場でスーツ姿の男性から声をかけられて、いきなり彼女の車の扉を開けて「デートしよう」と言われたこと。最後には訳がわからないけど告白されたという。聞く限り、行動が明らかにセックス(強制わいせつか強姦)目的。
いずれも、おそらく本人も保護者・教師も通報していないだろう。身近で性犯罪被害者数の統計の暗数になっている性暴力被害者がいたわ。
ちなみに、彼女は気が弱いタイプ。今日も、某所に一人で行けなかったので同伴した。部屋に入る前に躊躇したので、手を引っ張って一緒に入ったら、自分も巻き込まれてヘトヘトに…(´Д`;) 「後押ししてくれてありがとう」と後で感謝されたので虐待行為じゃないということで…
主観でしかないけど彼女は、小中高の学生時代は大人より心身とも弱い立場であること、社会人になっても素朴で気弱に見られていたことから、彼女が弱者をターゲットにする性暴力者のターゲットにされやすかったのかなと思った。

あと彼女に妹がいるけど、妹は彼女より気が強くて、ナンパ以外特に性的なことで嫌な思いをしたことは、ほとんど聞いたことがないと言っていた。
まだまだ性加害者の傾向を調べる必要があると思うけど、性暴力被害者である彼女の話を聞く限りは”性加害者は弱いものをターゲットに狩りをするイメージだなぁ”という印象を持った。





性欲と性的興奮について

あと、エッチな本についても話が出たな。小学校低学年の頃、エッチな本を見たことがあって、大人の本は大抵難しくて興味がなかったけど、エッチな本は興味を持って見ていたとのこと。ただし、エッチな本を見ても興奮してエッチな気分にはならなかった、理解もできなかったとのこと。
高校生の頃、官能小説を貸してもらって読んだ後、エッチな気分になった。それまではムラムラすることはなかったとのこと。小学生から高校生の間の第二次性徴期に性メディアを見たときの反応が変わったか、高校生まで自身が興奮するものを見ていなかったか。
最近は、本を読まなくても性欲でムラムラすることはあるとのこと。これから20代後半になるので、もっと性欲が強くなるだろうな。

2012年4月13日金曜日

創作物・メディア規制の法律は『思想弾圧法』である

近年の動きで、児童買春・児童ポルノ禁止法や青少年健全育成条例で、創作物に対する規制を強化する動きは活発である。
規制する側の言い分は「子どもを守るため」と言う。しかし、実際は「自分にとって気持ちが悪い。子どもには悪影響があると”思う”から、規制してほしい」というもので、『憶測』でしかない。あるいは特定の宗教思想を法律で広めたいという『宗教が政治に介入する』というものだったりする。行政側としても「手柄を立てればキャリアとして昇進できる、できなければ昇進できない」というものだから、方針が決まったら、是が非でも通したい。

厳しいことを言うが、近年のマンガ・アニメ・ゲームを中心とした、創作物に対する規制強化に向けた条例・法律改正の動きは『「思想弾圧法」を作ろうとしている』としか言えない。
要は、戦前の治安維持法みたいなものだ。

「表現」とは何か。それは、「頭で考えたことを形にする」ということだ。
つまり、思想と表現は、ほとんどくっついたものである。
だから、創作物という「表現」を法律で取り締まるということは、頭で考えたらいけないということに限りなく近くなる。なぜなら、それを落書きでもした時点で違法になるということだ。

法律で規制すべきものはある。
特に明確に言えるのは、他人を傷つける行為である。
児童買春・児童ポルノ禁止法は、「児童に対する買春を行うことで、心身に危害を与える」「児童ポルノ作成の際に児童に対して性的虐待行為を行う」という、明確な有害行為をなくすために法律を作って規制するものである。
では、創作物(例えば、子どもが性行為をしているようなマンガとか)を取り締まる理由は何か。誰かに危害を与えているのだろうか。
おそらく害があるとすれば、「見た人が気持ち悪くなる」というものだろう。しかし、あらゆる情報において、「見た人が気持ち悪くなる」情報はよくあるものであり、正しい対処法は『無視する』が基本で、『法律で取り締まれ』というのは子どものわがままみたいなことである。(例として良くないかもしれないが)別の荒っぽい言い方をすれば『お前の顔は気持ち悪い。法律で取り締まれ』と言っているのと同じだ。
余談だが、あらゆる情報は有害になりうる。例えば、アメリカ同時多発テロの画像だったり、東日本大震災の動画だったりする。あれを見ると、人によっては被災者みたいに”うつ”になるなど、有害になる情報はいくらでもある。

児童買春・児童ポルノ禁止法や青少年健全育成条例の創作物規制に対して「表現の自由を侵そうとしている」ということで運動してきた。
青少年健全育成条例は「流通規制であり、表現の自由を侵すものではない」と言うが、『表現の自由とは、知る権利とセット』であることから、発信したものが受け手に届かない時点で表現の自由を侵すものであると言っていい。
しかも、成人向けの図書類のうち、性・暴力表現について、明確な有害性は認められていないどころか、有害ではないという研究がいくつも見られている。
加えて、思春期に入るまでに、青少年が性に興味を持つことは通常は当たり前のことであり、むしろ性に無関心な方が心配になるのが普通ではないだろうか。ただしい対処は、性教育などでの有害とされる情報への対処方法であり、情報の遮断ではない。情報を100%遮断することは無理か、逆に有害である。
話を戻す。
表現の自由は思想の自由に大きく関わることから、「表現の自由を規制する」ということは「思想の自由を規制する」のとほぼ同じと言える。
つまり、「マンガ・アニメ・ゲーム等で表現してはいけない」というのは「考えてはいけない」というのと同じ「思想弾圧」だ。

みなさんのうちで「性について考えてはいけない」「暴力について考えてはいけない」というのを守れる人はどれだけいるだろうか。
少なくとも、”時に自分が持つ怒り””子どもを持ちたい””恋人・妻を愛したい”という感情を持つ自分は、そんな完璧な聖人みたいなことは守れない。

2012年4月9日月曜日

井ノ本リカ子先生の『30歳の保健体育』の感想

井ノ本リカ子先生の『30歳の保健体育』全2巻を読みました。ふんわりした感じの絵で、個人的に大好きな絵柄です。
松江市内のコミック専門店に置いてあったので、購入したものです。ちなみに、原作は未読です(;´Д`)

恋愛も絡めた20~30歳台の大人向けの、良い性教育マンガだと思いました。どちらかというと男性向けですが、女性が読んでもいい内容だと思います。実際の、恋愛から始まりセックスに至るまでの流れに近いなと思います。
性行為の経験がない人向けには、参考になる作品だと思います。私としてはペッティングもあるべきかなという気がしましたが、(これも本書に描いてないですが)セックスの前戯に含めていいと思います。

読んで思ったのは、内容は比較的実践的で参考になるのですが、マンガであるためか、現実と違う架空っぽい感覚がぬぐえない感じがありました。より真実味を持たせるに、話と話の間の幕間1ページ位を別途、具体的な恋愛・キス・セックス等の文章解説ページを用意するといいなと思いました。
…マンガでは現実っぽく感じず、文章の方が現実っぽく思えるのは、皮肉な感じです…

セックスについては、鳥山仁先生の「本当に正しいセックス」(三和出版)の解説がより具体的・実践的で良書だと思います。セックスの準備に必要なこと、セックスの始まりから終わりまで、一通り書いてあります。

現在の大人向けの性に関する情報となると、どうしても興味本位の雑誌記事になっちゃうので、できればこのようなセックスに関する正しい知識が得られるような作品が増えるといいように思います。

できたら、恋愛から性教育までの正しい情報を提供する大人向けのメディアの普及を行政が推進してくれると、少子化対策にも多少貢献できていいと思うのですが、そんな虫のいい話はできないですよねー。


コミック

30歳の保健体育(1) (IDコミックス REXコミックス)(Amazon)
30歳の保健体育 (2) (IDコミックス REXコミックス)(Amazon)


参考書籍

本当に正しいセックス (SANWA MOOK)(Amazon)

2011年11月14日月曜日

「子ども」の定義・区分と性




「子ども」の定義って、どうだろう。

国の制度的には、18歳未満を児童としている。児童福祉法 第4条を見ていくと、1歳未満=乳児、満1歳~小学校就学まで=幼児、小学校就学~満18歳に達するまで=少年、としている。
ただし、刑法176条・177条の規定を見ると、13歳が性交同意年齢の境として存在している。(後述の身体的なものを考えると、とても適切な年齢設定)
児童福祉法 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO164.html
刑法 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M40/M40HO045.html

では、当事者の主観はどうか。
まず、小学生が子どもと言われるたらどうか。特に違和感はないだろう。児童も同じ。小学校に「児童会」ってないかな?自分の時はあった。
次に、中学生・高校生が子ども・児童と言われたら、当事者はどう思うか。18歳に近付けば近付くほど違和感が出る。当事者にとって違和感がないのは少年・少女だろう。
つまり中学生・高校生が、子ども・児童と言われるのには違和感がある。すなわち、当事者の主観的・刑法の性交同意年齢的・小学生と中高生の境界として、13歳あたりには大きな隔たりがある。
しかし、大人・保護者からの主観はどうか。学生を卒業していない、18歳~22歳未満は子どもだ。理由は、経済的に保護者から自立していないから。ただ、中学生・高校生を児童と呼ぶのは、多くの親が違和感を感じるだろう。
主観的には13歳未満が児童、13歳から18歳未満が少年少女、18歳以上で青年・成人と思う人が多いのではないか。そして少年少女にカテゴライズされる13歳から18歳未満は子どもと言えるかは、主観的にはグレーゾーンだろう。

では、身体的(特に性的)にはどうか。
身体的なものの一つの目安としてならば、第二次性徴期があるだろう。Wikipedia( 第二次性徴 )では男が9歳~14歳、女が7歳~12歳に始まるとされている。この時期位に身体的に大きく成長する。
性的な面では「精通」「初潮」が来る。精通・初潮は、早い子で小学3年生位で平均が小学6年生から中学1年生である。だいたい12歳から13歳。小学生に精通・初潮が来る子は半分から4分の1程度はいる。
初潮・精通に関する内容で参考にした統計データはこちら。→ 精通年齢(初めての射精年齢)の遅延傾向 http://www.kobekids.net/kenkyu/spermarche2000.html
第二次性徴期を迎えると、性欲が顕著に高まってくる。身体の成長と性欲との関連については、こちらにまとめてある。→ http://togetter.com/li/91179
心理面においては、13歳から19歳の間に不安定な時期を迎える。大人と子どもの中間とされるミドルティーンは15歳から17歳。
身体的には、小学校中学年から中学1年生あたりで、第二次性徴期によって境界ができる。精神面としては、小学校中学年以下と・小学校高学年から20歳未満・20歳以上と大別される。

以上から考えられるのは、18歳未満を一律「子ども」「児童」とひとくくりにするのは、当事者の主観・身体面・精神面において、不適当であると言える。では、どのように区切るのが適切か。
個人的には、当事者の主観に記した、小学生以下(13歳未満)・中学生と高校生(13歳~18歳未満)・18歳以上、と分けるのが妥当と考える。
性についてだが、「精通」「初潮」を迎えた青少年が性欲を持つことは自然であり、むしろ性欲を持たないことの方が、ホルモンバランスを考えれば異質で心身に不健康(すなわち、不健全)と考える。
特に男の子の性欲を司るホルモンは「エストロゲン」であり、闘争本能を増す作用を持つ。「エストロゲン」の作用である性欲が発散できなければ、ストレスがたまり攻撃的になる。性欲+攻撃性から来る欲求は「性暴力」であり、危険な衝動であり、もっとも不健全である。
中高生に対する性メディアについては、身体面から考えれば、現在の青少年健全育成条例の成年コミック・雑誌等の扱いを考え直すべきと考える。下手に性メディアを規制して、性欲を抑え込むことは逆効果であり、青少年の心身に不健全である。
もし、「道徳的に青少年が性メディアにふれるのが不健全だから」と言うなら、その「道徳」は何かを根本まで突き詰めてもらいたい。少なくとも、私が感じるその「道徳感」は、『自分自身が習っていない「性」』は、知らなくて不安で怖い嫌悪感のある存在だから不道徳としか思えない。知らないのが問題。
つまり、性に関して言えば、18歳未満だけでなく多くの大人も含めて知識・学習面では、みんな「子ども」だ。



あと、この疑問もあった。

自分たちが生きる一生の中で「子ども」とはどのような時期・位置付けか。これが考えられなければ、青少年の健全な育成の本質は考えられない。
「子ども時代」は、大人に向かって自立するための学習期間だ。自立するためにあらゆる学習をする。遊びだってそうだ。「守る」だけで「自分で考え行動する」ことを否定したら、子どもはずっと子どものままになってしまう。大人になるまでに、自立していかないといけない。
当然、「性」についてだって習うべき。なのに、大人の中で過激な一部の人が「悪影響だ」と逆に教えようとしない。「性」は「子どもを産む際に必要な知識」のひとつだ。性の中には恋愛観もあるだろう。「好きという気持ち」も性教育で教えたっていいはずだ。
マンガなどで異性(あるいは同性)への愛を描いた物だって立派な性の知識だ。パートナーに優しくなるきっかけにだってなり得る。
単純にかごの中に入れるように守るだけの育て方を考えているようじゃ駄目。自分で考えられるように、子ども自身が少し失敗してもいいような寛容さのある、(親にとって寂しいけど)子どもが親元から飛び立てるように、自立させていくような仕組み作りこそ、今の子どもに必要ではないか。

2011年11月7日月曜日

私屋カヲル先生の『こどものじかん』の感想

この感想は、私自身がツイートしたもので、Togetterにまとめられた内容から持ってきています。

まとめられている先は、次の場所です。

『ないしょのつぼみ』すら規制したい人がいる!? #hijitsuzai #hijituzai (+α: 今の性教育はどうなっているか?)
http://togetter.com/li/147455

『こどものじかん』の感想

『こどものじかん』1~10巻を読んだ。個人的には18歳以上の大人向けの作品で、萌え要素のあるロリエロシーンをパロディとして受け止められる人にはお勧めできる作品。逆に、ロリエロがだめだったり、萌え的要素の絵柄が自分に合わなかったり、パンチラ等に嫌悪する人にはお勧めできない。
『こどものじかん』は、基本エロパロマンガだが、エッチ要素やパロディー以外に重要なメッセージを込めた作品だと私は感じた。絵柄のこともあり、バックベアード様が降臨するようなエッチな場面もある。しかし、それだけに目を奪われたら、この作品の本質的なメッセージ性が見えなくなる。
条例に引っかかるかについて、個人の主観的な見方だが、この作品は、性的感情を刺激する作品であるかは微妙なところ。10巻まで読んだ限りにおいては、子どもの性に関する健全な判断能力の形成を妨げるというのはないと思う。
個人的主観で、エロページ数を調べてみた。 1巻 - 6/185, 2巻 - 5/188, 3巻 - 5/189, 4巻 - 7/188, 5巻 - 4/194, 6巻 - 9/195, 7巻 - 8/197, 8巻 - 9/197, 9巻 - 8/197, 10巻 - 8/197
性器を強調する、直接的なエロ表現が少ないので、エロページの比率がかなり下がった。実際はもっと多いかもしれないが、2倍まではいかないように思う。したがって、有害率は1/10まで行くかは微妙。
内容については、18歳未満の子どもに積極的に見せたいとは思わない。ただし、これから親や教師になる人に対しては、むしろ、一度読んでみる価値はあるかもしれない。これは、大人視点で子どもと接することを描いた、大人向けの本だ。ただし、成年マークを付けるのはふさわしくないと思う。
「『ないしょのつぼみ』すら規制したい人がいる…( http://togetter.com/li/147455 )」の発言を読んでいただけるとわかる通り、表面的にはロリマンガに見えるが、本質は違う。
まとめでは「成長物語」と発言されている。それは正しいと思うが、私は別の側面も感じた。それは、「教師である大人が子どもと接することの戸惑いや不安」だ。作中で大人が戸惑うのと同様、私たち大人も現実の子どもに対して戸惑うと思う。その意味で共感を呼ぶ作品だと思う。
子どもは小学校高学年から中学生にかけて、心身ともに急激に成長する。まして、女の子は小学校中高学年で急成長する。みなさんも、小学校中高年の時に女の子の方が身長が高くなったり、胸が大きくなって気になったことはないか?
自分が小学校高学年の頃は、体育館に行くとき等で整列した時に女の子が身長が高くなっているのに気がついたり、胸が大きくなっているのをチラッと見たりと、口には出してないけど、内心気になっていた。
中学生の頃であれば、中一の文化祭の準備で女の子の家に行ったとき、女の子からエッチな話を振られて戸惑ったことがあった。その経験を考えると、(作中みたいに頻繁にはないだろうが)九重りんのような行動があり得ないとは、私からは言えない。
教師であれば、子どもを指導しなければならない立場だから、女の子の急激な心身の成長には戸惑うはずだ。その意味で、もし小学校中高学年の女の子と接する、当事者になった場合を考えながら読むと、共感を感じてしまう。
また、教育現場での性に関する悩みもたくさん出てくる。それに対する最善の解決方法を描いているかは定かではないが、間違っているとは言えないし、問題提起していること自体、評価されるべき作品だ。
絵柄がかわいいから、勘違いして買われても困るという意見があるかもしれない。これはお店が青年向けコミックとして分類してもらえたらと思う(地元の書店ではしてた)。読み進めて内容を考えると、九重りん達のキャラクターを考えると、個人的にはこの絵柄が最適だと思う。
最新の9・10巻を読んでいると、3年B組金八先生の雰囲気を思い出す。生徒に全力を傾ける。しかし、思い通りにいかない。不格好さを見せながら、生徒と向き合う場面が、金八先生と青木先生が少しダブって見えてくる。やはり、思春期の子どもと相手しているからだろうか。(フィクションだが)
『ないしょのつぼみ』の視点は「子ども」を主体としているが、『こどものじかん』の視点は「大人(主に教師)」が主体である。九重りん、鏡黒、宇佐美々のシーンがたくさん描かれていても、あくまで青木大介先生を中心に話が進む。
『ないしょのつぼみ』が「子ども向けの性教育の作品」なら、『こどものじかん』は「大人向けの(特に性に関して)子どもに対する接し方を考えるマンガ」と私は感じた。
6巻以上読むと、『こどものじかん』がエロパロだけじゃないとわかるだろう。さらに、9・10巻まで読み進めると、メッセージ性はさらに強くなる。エロパロを許せる・嫌悪感がなく、懐が許せば、1~10巻まで読んでみるといいと思う。
ロリエロ萌えだけのマンガだと思っているなら、一度読んでみるといい。このマンガの評価が変わるはず(当てが外れる?)。もし自分に、女の子ができたらとか、身近に接することを想像して読んだら、共感すると思う。

やぶうち優先生の性教育マンガ『ないしょのつぼみ』の感想

この感想は、私自身がツイートしたもので、Togetterにまとめられた内容から持ってきています。

まとめられている先は、次の場所です。

『ないしょのつぼみ』すら規制したい人がいる!? #hijitsuzai #hijituzai (+α: 今の性教育はどうなっているか?)
http://togetter.com/li/147455



『ないしょのつぼみ』の感想

「『ないしょのつぼみ』すら規制したい人がいる!? ...」( http://togetter.com/li/147455 )のまとめが気になって、実際に『ないしょのつぼみ』(1~7巻+めばえ)を購入して読んだ。
結論から言えば、性教育に関するマンガとして、とても良い作品だと思った。ターゲット層は、やはり小学4年生くらいだと思う。個人的には、小学校低学年から高学年にかけて、幅広く推奨したいマンガだと思う。ふりがながあるけど、漢字が結構あるので、低学年には読みづらいかも。
掲載誌は小学4年生(昔は小学5年生)だから、男の子も読んでいるだろうな。コミックスは少女コミックコーナーにあるから、男の子は買いにくいかも。でも、女の子が抱える悩み・心理状態・体の変化などを知り、理解する意味で、男の子にもお勧めしたい。(少し女の子にやさしくなれるんじゃないかな)
自分に小学生の子どもがいるとしたら、『ないしょのつぼみ』は是非、読んでもらいたい作品。(実際、知ってる範囲で小学6年生の女の子が持っている)
『ないしょのつぼみ』は、第二次性徴期の子どもの体に表れる変化について、物語という形で、(性教育という教科書よりも)具体的に描かれている。
そして、体の変化で戸惑う子ども自身が描かれている。周りになかなか相談できない現状も描いてある。これは、子ども自身の共感を得る良い作品だと思う。逆に言えば、現状は性について、親(大人)になかなか相談できないのが実情ではないかな。
男の子の体の変化の事も触れてある。行動のことも描いてある。自分も精通のことは家族に言えなかったなぁ。あと、小学校高学年の頃は、異性をいじめたりはしなかったけど、セクハラまがいのことは言ってたなぁ。マンガに描いてある男の子の行動、結構当たってると思う。
あと、少しだけど夫婦が性生活をしていることも触れている。セックスレスって、離婚率が高くなるから、夫婦でスキンシップの一つである性生活を営むこと自体良いこと。それを子どもが見てしまうこと自体、決して不自然ではない。
知らないことについていきなり遭遇するのと、あらかじめ知っていることに遭遇するのとでは、子ども自身の心理的な重圧度は全然違う。マンガ等で対処方法がわかったり、友達に相談できれば、子ども達の性に関する心理的圧迫はすごく軽減されると思う。
子ども自身の立場に立って、第二次性徴期の体の変化について描いている『ないしょのつぼみ』って、とても良い作品と思いました。

P.S.
『ないしょのつぼみ』を読んで、子どもの心理面の描写が素晴らしいと思いました。性教育の本では難しい表現です。マンガだからこそ子どもに響く作品だと思います。



コミック

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ないしょのつぼみ 2 (ちゃおコミックス)(Amazon)
ないしょのつぼみ 3 (ちゃおコミックス)(Amazon)
ないしょのつぼみ-めばえ (ちゃおコミックス)(Amazon)
ないしょのつぼみ 4 (ちゃおコミックス)(Amazon)
ないしょのつぼみ 5 (ちゃおコミックス)(Amazon)
ないしょのつぼみ 6 (ちゃおコミックス)(Amazon)
ないしょのつぼみ 7 (ちゃおコミックス)(Amazon)
ないしょのつぼみ 8 (ちゃおコミックス)(Amazon)




DVD

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健全とは何か、性・暴力表現は不健全なメディアか、性差別を生むのか

Togetterでまとめた内容です。

健全とは何か、性・暴力表現は不健全なメディアか、性差別を生むのか
http://togetter.com/li/209211
Togetterでは、疑問に対する回答もしています。


sub-index
  • 健全の定義について
  • 青少年が、性・暴力表現を見ると悪影響はあるのか
  •   暴力行動と暴力表現について
  •   性に走る行動に関する考察と性表現について
  •   性行動に走る青少年への対策についての考察
  • 性メディアと女性差別に関連があるかについての考察
  • 性メディアが青少年に与える影響についての結論



健全とは何か、性・暴力表現は不健全なメディアか、性差別を生むのか
まず、『「健全」って何』という疑問から調べてみました。
そして、性・暴力表現が、本当に青少年に悪影響があるのか、心身の面から考えてみました。
加えて、個人的な観点で、性メディアが女性への性差別につながるかも考えました。


「健全とは何か。性・暴力表現は不健全なメディアか。」について考えてみました。

健全の定義について
普通・一般の人が考える「健全な子ども」の定義は、かなり曖昧ではないでしょうか(それに、大人(保護者)が思う・考える「健全」は『誰が主体』でしょうか)。
そもそも、「健全」とは何か。まず、根本的な部分から考察してみました。

まず、「健全」とは何か。辞書で調べてみた。「心身が正常に働き、健康であること」「考え方・行動が調和がとれていること」とある。心身が健康で、他人に無用に危害を与えないことが健全だろう。
個人的には、子どもが健康で元気に育ち、学校でみんなと一緒に学習し、失敗や挫折も繰り返しながらも前に進めれば、健全に育っていると思う(主体は子ども)。保護者の理想通りにガチガチに育てるのって、保護者のわがままじゃないかな(主体は大人)。
結果の方から考えると、大人になって自分で考えて行動できるよう「自立できる」ことを目標に、健康的に育てることが、健全だと考える。
大人の思い通りに育てるのが健全とは思わない。むしろ、そのように考えることは、子どもが自分の思い通りに育たないときに、虐待を誘因する。このような環境は良くない。

青少年が、性・暴力表現を見ると悪影響はあるのか
ここでは、書籍等のメディアからの視点ではなく、「なぜ暴力行為をするようになるのか」「なぜ、青少年が売春(援助交際)や望まない妊娠をしてしまうのか」という行動の原因を探る視点に立ち、その原因としてメディアの性・暴力表現が含まれるかを考えてます。

暴力表現・性表現のある創作物を「見る」ことで、「子どもの心身の健康・考え方や行動に悪影響を与える」のだろうか。調べた・聞いた範囲では、第二次性徴期以降の子どもの大部分に極端な悪影響は聞いたことがない。
暴力・性表現を見ている青少年は少なくないのに、現状で真似したというような、明確に悪影響を受けたという話を聞いたことがない。聞いたことがあるとしたら、「ムラムラしてやった」くらいだ。つまり、性欲がたまってで、性メディアと直接的関係があるケースを知らない。
ただ、6歳未満の乳幼児・小学校低学年程度に性・強い暴力表現のメディアを見せることには、精神面に対する負担の大きさから、トラウマを植え付ける可能性が高いと個人的に想像しているため反対(根拠が薄いが)。その境界線上をどこに置くかは議論すべきだが、少なくとも18歳ではないと考える。

暴力行動と暴力表現について
子どもが暴力的になるのはなぜか。理由としては、自分に不利益な状態に陥る・ストレス下の抑圧状態に置かれるなど、ストレス状態になった時に発生する。心理的に穏やかな状態で他人に攻撃的になるケースが、今の私に思いつかない。
暴力表現・性暴力表現が子どもを暴力的にするだろうか。嫌悪感からならわかるが、意味がわからなかったり、興味を持ったりする分には暴力的にはならない。
暴力表現があるゲームをプレイして、攻撃的衝動に陥るような悪影響は、ハーバード大学医学部の大規模調査で因果関係が否定されている。 http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/post-1015.html
映画・マンガ・アニメもゲームと同様だろう。暴力表現のあるハリウッド映画を見て、暴力的になったなんて話は聞いたことがない。
ゲームと犯罪と子どもたち ――ハーバード大学医学部の大規模調査より(Amazon)

性に走る行動に関する考察と性表現について
子どもが性行動に走るのはなぜか。今考えられるのは、「性欲が強すぎて、その衝動が抑えられない」「周囲の人がみんなもしているからと言われた」「処女・童貞でいるのが恥ずかしいと聞いた」といったのが主だろう。
前者1つは、攻撃衝動とセットになると、その結果は怖い。性欲は、人の生存本能であり、特に若年男性は強い傾向にあると考えられる。それを完全になくすことは無理だろう。なら、何らかの対策が必要だが、その一つとして性メディアで性欲を発散することは悪いと思えない。
他に性欲を発散する方法があれば知りたい。女性は性欲は我慢しやすいと聞くが、男性の方が生理的に我慢しにくい。
後者2つへの対策は、されているのか。私は社会人になるまで、大人から直接、性に関して対話したり、深い知識を得たことはなかった。今も対策されていないのではないか。
修学旅行や教室・部室の中とか、みんなが集まる中で、興味本位で性の話とかしたことはないか。あるいは、性に関する体験記事をみんなで、あるいはこっそり読んで話題にしたことはないか。
みんなが「している」と聞いて焦らないか?「やってみたら」と誘われたことはないか?子どもが性行動に走るのは、みんなと同じ事をしたい・他人と同じになりたいという「同調バイアス」によるものではないだろうか。
これらを踏まえた上で、性について描かれた創作物が子どもに与える影響は、「創作物上の性行為の知識を得る」くらいだろう。先ほどの「同調バイアス」に比べると、程度としては興味を持つ位。しかし、真似する可能性は否定できない。
あとは、「知らない・不快な描写を見て、嫌悪感を持つ」くらいだろうか。でも、親になればいつかは見ないといけない。なぜならば、私たちの多くが、異性と性行為を持つからだ。どこかでハードルを越えるし、越えないといけない。そのハードルは身体面を考えれば第二次性徴期以降だろう。
第二次性徴期以降の青少年が性メディアを見ることは不健全だろうか。性メディアを見ない・攻撃的にならないことが健全か。
人は様々なストレスに遭遇する。そんな中で攻撃衝動を持つ。その場合、なんらかの方法で解消する。それが体を動かしたりすることだったりするが、他にゲームをしたり、枕などのクッションに怒りをぶつけるなどもある。つまり、公共物・他人に危害を与えない方法で解消すればいい。
性欲も同様に、他人に危害を与えない方法で解消すればいい。第二次性徴期を過ぎると、青少年は性欲を持つ。性欲を我慢することはストレスにつながる。だから、性欲を解消することは重要だし大切。
その手段の一つに性メディアを使用して、自分一人で性欲を解消すること自体、他人に危害を与えないから問題ない。
ぶっちゃけると、性がん具の一部も問題ないと思う。逆に、妙な物を性器を突っ込んだりして、性器を傷つけるような問題を結構聞く。それだったら、専用の性がん具を正しく利用する方が、健康的だと思う。
性欲は、特に男性は身体的に精子を作る仕組みを持っている以上、なんらかの手段で処理する必然性が強い。ならば、自分で処理しないといけないが、その手段として一人で性メディアを使うこと自体、誰にも危害を与えていないので問題なく健全性を損なうことはない。
女性だって、性に関する情報で一人で楽しむ分には、誰にも危害を与えていないし自分の健康を損なわないので問題なく、健全性は損なわない。
逆に、性欲を我慢することはどうだろうか。性欲を我慢すると言うことは、先ほどのとおり、ストレスをためることになる。ストレスをためることは様々な病気を引き起こす原因となるため、健康上の悪影響がある。そして、ストレスは攻撃性を増すため、精神面でも悪影響がある。
すなわち、性欲を我慢することには心身に悪影響があり、健全ではない。このことから身体面から言えるのは、『性欲を解消する性メディアを規制することは、身体的にストレスをためることにより、病気の原因になる・攻撃性が増す要因を増やすことから、不健全になりやすくなる』ということだ。
このことは、一般的にみなさんが認識している性の考え方と、実際の心理的・身体的な機能のあり方が異なっていると言えるのではないだろうか。

性行動に走る青少年への対策についての考察
では、青少年が性行動に走ることのへ対策として何が適切か。
「性メディアを隔離し、子どもに見せない」というのはどうか。これは、根本的な対策になっていない。セックスレスでない保護者がいれば、家庭で性行為を見る機会は存在する。
ならば、セックスしなければいいのか。セックスレスの家庭は、離婚しやすくなる。離婚することは子どもの生き方にも悪影響が出る。根本的な問題解決になっていない。
それに、子どもは本能として性欲を持つ。中学生でやっちゃう子はやっちゃう。中学生の頃一緒だったクラスメイト(不良に見られるような人だけど、性格は面倒見がいい人で悪くない)は「中学の頃、セックスしてたよ」と言ってた。エロマンガ等と縁がないけど、やっちゃう子はやっちゃう。
必要なのは、学校での性教育の充実だと考えている。何を教えるべきか。今の私が性教育で追加すべきと思っているのは、(他にもあると思うが)次のとおりに考えている。
(1).「セックスとはどのような行為か(生殖行為である・性欲を解消する行為であるとともに、互いの肌を触れてコミュニケーション・愛情を確かめる行為等)」
(2).「避妊・性感染症防止の方法(低容量ピル・コンドーム等)」
(3).「避妊しないこと・性感染症予防をしないことの危険性(妊娠した場合:子育てにかかる費用と人的負担と社会的な視線・中絶費用・中絶した場合の赤ちゃんが産めなくなる危険性、性感染症にかかった場合:治療にかかる費用と時間・完治できない生死に関わる性感染症にかかるリスク)」
(4).「恋愛で処女・童貞を意識する必要はない。急いで処女・童貞を卒業する必要もないし、処女・童貞じゃないから嫌だと思う必要もない。将来結婚したいと思うような好きな人とセックスした方がいい。セックスは、社会人になってからが望ましい。」
(5).「好きでない人との性的な部分に触れることや、セックスをしてはならない。それは、強制わいせつや強姦であり、人権侵害である。」
(6).「セックスするなら、自分勝手にならず、相手とのコミュニケーションを大切にして、相手の体をいたわってほしい。」
(7).「雑誌・マンガ・テレビ等から性情報を得る機会があっても、それが相手を傷つける行為であれば、それを真似してはならない。暴力表現も同じ。」
思いつくままに書いてみたが、もっとあると思う。そしてこれは、子ども達だけが学ぶことではないと思う。成人男女(特に保護者)も勉強すべきじゃないかと考える。
なぜなら、性に初歩的な知識以外に、まともな性教育を受けてないため、子どもと性について話し合うこと自体恥ずかしいことであり、ためらうためである。また、性行為に関するトラブルは、成人男女でも抱える問題であり、セックスレス問題も加えて再度学び直す必要がある。
ちなみに性教育は、あまり勉強に身の入らない子でも、興味を持ってくれる。性教育の授業、結構真剣に受けてたのを記憶している。

性メディアと女性差別に関連があるかについての考察
話は変わるが、性メディアは、女性を差別する物、女性差別を助長するものか。
私の知人の女性で、「アダルトビデオを見た。これは女性差別だ。」と言った人を見たことがない。逆に、興味を持つ女性がいるくらいだ。当事者に差別されているという意識はないし、不当に苦痛を受けたような話は聞いたことがない。(無理矢理見せられるというケースを除けば、想像もできない)
逆に、男性の性を取り上げた「BL」「やおい」などを考えると、声高に女性ばかり取り上げるのも変に感じる。「BL」「やおい」が男性への差別を助長するものとは思えない。
「見る側」からすれば、それ自体が女性差別につながるとは思えない。あるとすれば、人や作品によって嫌悪感を感じるくらいだろう。
「提供側」であるが、小説・マンガ・アニメ・ゲームであれば、個人名などがなければ当然被害者はいない。
では、実写で撮影される場合はどうか。業界通ではないので、実態は知らない。ただ、調べたり話を聞く限りでは、撮影する側・される側において、きちんと契約はされており、不当な行為は多くないと考えるのが妥当と考えている。
もし、不当な扱いを受けていれば、強制わいせつ・強姦で訴えられるはずだ。
実写の児童ポルノの問題は何か。それは、撮影される子どもに対して性的虐待を行うという人権侵害行為を行うことが行われたこと。そして、実写の児童ポルノがビジネスとなることで、さらに児童ポルノを作るために子どもを誘拐・人身売買・性的虐待を誘発することが問題。概念の問題ではない。
では、性を商品化することは悪いことか。私の考えでは悪くないと考える。「人を商品化する」という大きなくくりで考えると、テレビに出てくる芸能人・スポーツ選手・広告に出る人・モデルなど、あらゆるものがそうだ。
性の商品化というのは「性」という魅力・特技・技術みたいなものを商品化している。他の「身体的能力」「交渉術」などと大きな差があるだろうか。(もっと言うなら、「資格」もあるかもしれない)
では、女性を差別しているのは何か。思いつくのは「宗教」「政治」「教育」「戦争」…他にもあるだろう。しかし、明確に創作メディアが直接女性差別を生んでいるケースが自分に思いつかない。
もっと言えば、性の経験がある人に対して、差別意識を持っていないか。特に、風俗業に就いている人(特に女性)に対して、差別的な目を向けていないだろうか。そちらの方がずっと差別的で問題があると思う。
性メディアでの女性への差別は、「当事者」ではなく「見る側」が行っている問題だ。そして、それは「性への潔癖症」であり、性行為のある人に対する「嫌悪感」(処女信奉)からくるものではないだろうか。
その対策は、「性メディアの規制」ではなく、性への過度な潔癖症の意識を直すことではないだろうか。でなければ、元風俗関係の人は、いつまでも社会的に不当に差別されることになる。
「性」に過敏に反応する人がいるが、何か特別な意味があるのだろうか。「生殖」「生命」と結びつくからだろうか。「恋愛」「結婚」と絡むからだろうか。「宗教」「政治」などの観点から、もっと深く追求したいところだが、この観点について、私の知識不足もあるので置いておく。

性メディアが青少年に与える影響についての結論
結局、「性・暴力表現のあるメディア」が人に与える悪影響って、きちんと性教育を受けたり、他人に暴力をふるってはいけないと教えられれば、「嫌悪感」「トラウマを引き起こす」以外ないように思う。
見ない自由はあるだろう。しかし、100%実現するというのは無理だろう。たとえは悪いが、自宅で100%ゴキブリを見ないのと同じではないだろうか。現状の区分陳列以上にいい方法があるだろうか。
私は、青少年の心身の成長を考えて、書籍側の「推奨年齢表記」「性・暴力表現あり表記」と、書店の第二次性徴期区分での区分陳列ぐらいだと思っている。もし、規制を強化するなら、具体的な理由と対応方法まで考えて欲しい。