2012年4月13日金曜日

創作物・メディア規制の法律は『思想弾圧法』である

近年の動きで、児童買春・児童ポルノ禁止法や青少年健全育成条例で、創作物に対する規制を強化する動きは活発である。
規制する側の言い分は「子どもを守るため」と言う。しかし、実際は「自分にとって気持ちが悪い。子どもには悪影響があると”思う”から、規制してほしい」というもので、『憶測』でしかない。あるいは特定の宗教思想を法律で広めたいという『宗教が政治に介入する』というものだったりする。行政側としても「手柄を立てればキャリアとして昇進できる、できなければ昇進できない」というものだから、方針が決まったら、是が非でも通したい。

厳しいことを言うが、近年のマンガ・アニメ・ゲームを中心とした、創作物に対する規制強化に向けた条例・法律改正の動きは『「思想弾圧法」を作ろうとしている』としか言えない。
要は、戦前の治安維持法みたいなものだ。

「表現」とは何か。それは、「頭で考えたことを形にする」ということだ。
つまり、思想と表現は、ほとんどくっついたものである。
だから、創作物という「表現」を法律で取り締まるということは、頭で考えたらいけないということに限りなく近くなる。なぜなら、それを落書きでもした時点で違法になるということだ。

法律で規制すべきものはある。
特に明確に言えるのは、他人を傷つける行為である。
児童買春・児童ポルノ禁止法は、「児童に対する買春を行うことで、心身に危害を与える」「児童ポルノ作成の際に児童に対して性的虐待行為を行う」という、明確な有害行為をなくすために法律を作って規制するものである。
では、創作物(例えば、子どもが性行為をしているようなマンガとか)を取り締まる理由は何か。誰かに危害を与えているのだろうか。
おそらく害があるとすれば、「見た人が気持ち悪くなる」というものだろう。しかし、あらゆる情報において、「見た人が気持ち悪くなる」情報はよくあるものであり、正しい対処法は『無視する』が基本で、『法律で取り締まれ』というのは子どものわがままみたいなことである。(例として良くないかもしれないが)別の荒っぽい言い方をすれば『お前の顔は気持ち悪い。法律で取り締まれ』と言っているのと同じだ。
余談だが、あらゆる情報は有害になりうる。例えば、アメリカ同時多発テロの画像だったり、東日本大震災の動画だったりする。あれを見ると、人によっては被災者みたいに”うつ”になるなど、有害になる情報はいくらでもある。

児童買春・児童ポルノ禁止法や青少年健全育成条例の創作物規制に対して「表現の自由を侵そうとしている」ということで運動してきた。
青少年健全育成条例は「流通規制であり、表現の自由を侵すものではない」と言うが、『表現の自由とは、知る権利とセット』であることから、発信したものが受け手に届かない時点で表現の自由を侵すものであると言っていい。
しかも、成人向けの図書類のうち、性・暴力表現について、明確な有害性は認められていないどころか、有害ではないという研究がいくつも見られている。
加えて、思春期に入るまでに、青少年が性に興味を持つことは通常は当たり前のことであり、むしろ性に無関心な方が心配になるのが普通ではないだろうか。ただしい対処は、性教育などでの有害とされる情報への対処方法であり、情報の遮断ではない。情報を100%遮断することは無理か、逆に有害である。
話を戻す。
表現の自由は思想の自由に大きく関わることから、「表現の自由を規制する」ということは「思想の自由を規制する」のとほぼ同じと言える。
つまり、「マンガ・アニメ・ゲーム等で表現してはいけない」というのは「考えてはいけない」というのと同じ「思想弾圧」だ。

みなさんのうちで「性について考えてはいけない」「暴力について考えてはいけない」というのを守れる人はどれだけいるだろうか。
少なくとも、”時に自分が持つ怒り””子どもを持ちたい””恋人・妻を愛したい”という感情を持つ自分は、そんな完璧な聖人みたいなことは守れない。

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