性教育の教育内容の決定については、ユネスコの「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」に沿うのが理想だが、反発が予想される。
時間割も五教科重視の傾向や道徳教育を押し込める傾向も相まって押し込むのが難しい。
あと、教える大人が恥ずかしがるという点もあるため、対策が必要だ。
<ユネスコの国際セクシュアリティ教育ガイダンスのソース記事>
東京新聞:性教育で申し入れ 国際基準は「幼少期から」 都議の授業批判で識者:東京(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201804/CK2018040702000158.html
『また、純潔教育プログラムでは、若い人たちの間で性行為の開始年齢を遅らせたり、性行為回数や性行為の相手を減らしたりすることはできないことを示すエビデンスも提供している。』
つまり、妊娠や避妊などを教えたら性風俗が乱れる証拠はないと言うことである。
国際セクシュアリティ教育ガイダンスを改定 エイズと社会ウェブ版321 - ビギナーズ鎌倉
http://miyatak.hatenablog.com/entry/2018/01/16/154204
その他記事
【SYNODOS】性教育をアップグレードしよう!――自分自身のからだを守り、人生を選択できる力を育むために/染矢明日香 / NPO法人ピルコン理事長
https://synodos.jp/society/21657
2018年5月8日火曜日
ノルレボQ&A
Q.緊急避妊薬ノルレボが入手しにくい状態なのか。
A.「産婦人科でないと処方されない」「ノルレボの値段が1万5千円と高い」ことから、入手しにくいと考えます。これをOTC化することで薬局で相談すれば処方してもらえるようにすることで、「産婦人科が遠い・休診日でも処方してもらえるようにする」「ノルレボの値段を海外並みに低く抑える」ことを目指しています。
Q.緊急避妊薬ノルレボの副作用が気になる
A.ノルレボ自体強い副作用はありません。そのため、医師の指示・注意はほとんど必要ありません。
低用量ピルのような血栓症の副作用はありません。中用量ピルのような吐き気や頭痛もほとんど起こらないか起きても症状は軽いです。
Q.緊急避妊薬より性教育が先ではないか
A.詭弁(藁人形論法)です。緊急避妊薬と性教育は別物です。
それに、性教育の内容を変えるには何年もの時間がかかります。緊急避妊薬は専門部会の決定次第で早く実現が可能です。それに、性暴力被害者の人権を考えれば優先度は緊急度は緊急避妊薬が高いです。
性教育の改訂には、政治家の反発や文科省の教育内容の決定・時間割の確保等で時間が相当かかるため、その間性犯罪被害者・避妊失敗した人の対応がおろそかになるため、緊急避妊薬の市販化が先でないと被害者対応・中絶する人のためにならないです。
Q.コンドームの代わりに緊急避妊薬ノルレボを使えと言う男が出るのでは
A.それは避妊に非協力的な行為であり、そのような人と長く付き合えるわけがありません。それにコンドーム・低用量ピルよりお金がかかってしまいます。
Q.性病対策がおろそかになるのではないか
A.性教育の充実が図られない限り、現状と変わらないと考えられます。できることは、性病検査の啓発でしょう。性病検査は医療機関だけでなく保健所でもできるので、パートナー同伴で検査することをお勧めします。
Q.性犯罪被害者の精神的ケアが考えられていない
A.これは緊急避妊薬ノルレボの普及とは違うものであり、性犯罪被害の司法問題とPTSD対策が主なもので、警察案件・精神科案件のものです。ワンストップセンターの充実が図られることで解消されるべきものです。そのワンストップセンターも都道府県単位での普及からであろうことから、婦人科へ行くよりもハードルが高くなる可能性は高いでしょう。
妊娠対策としては、一刻も早く緊急避妊薬を服用すべきであり、ワンストップセンターへ行くのも、婦人科へ行くのも時間を要するものに変わりありません。
ピルとの付き合い方
http://finedays.org/pill/
すぐに必要な時がある。緊急避妊薬ノルレボを市販薬に!
https://ec-otc.blogspot.jp/
緊急避妊薬ノルレボの市販薬化について全力で答えるQ&A
http://afterpill.yu-nagi.com/
緊急避妊薬「ノルレボ錠」を市販化するお話
http://moi-m.com/?p=2498
A.「産婦人科でないと処方されない」「ノルレボの値段が1万5千円と高い」ことから、入手しにくいと考えます。これをOTC化することで薬局で相談すれば処方してもらえるようにすることで、「産婦人科が遠い・休診日でも処方してもらえるようにする」「ノルレボの値段を海外並みに低く抑える」ことを目指しています。
Q.緊急避妊薬ノルレボの副作用が気になる
A.ノルレボ自体強い副作用はありません。そのため、医師の指示・注意はほとんど必要ありません。
低用量ピルのような血栓症の副作用はありません。中用量ピルのような吐き気や頭痛もほとんど起こらないか起きても症状は軽いです。
Q.緊急避妊薬より性教育が先ではないか
A.詭弁(藁人形論法)です。緊急避妊薬と性教育は別物です。
それに、性教育の内容を変えるには何年もの時間がかかります。緊急避妊薬は専門部会の決定次第で早く実現が可能です。それに、性暴力被害者の人権を考えれば優先度は緊急度は緊急避妊薬が高いです。
性教育の改訂には、政治家の反発や文科省の教育内容の決定・時間割の確保等で時間が相当かかるため、その間性犯罪被害者・避妊失敗した人の対応がおろそかになるため、緊急避妊薬の市販化が先でないと被害者対応・中絶する人のためにならないです。
Q.コンドームの代わりに緊急避妊薬ノルレボを使えと言う男が出るのでは
A.それは避妊に非協力的な行為であり、そのような人と長く付き合えるわけがありません。それにコンドーム・低用量ピルよりお金がかかってしまいます。
Q.性病対策がおろそかになるのではないか
A.性教育の充実が図られない限り、現状と変わらないと考えられます。できることは、性病検査の啓発でしょう。性病検査は医療機関だけでなく保健所でもできるので、パートナー同伴で検査することをお勧めします。
Q.性犯罪被害者の精神的ケアが考えられていない
A.これは緊急避妊薬ノルレボの普及とは違うものであり、性犯罪被害の司法問題とPTSD対策が主なもので、警察案件・精神科案件のものです。ワンストップセンターの充実が図られることで解消されるべきものです。そのワンストップセンターも都道府県単位での普及からであろうことから、婦人科へ行くよりもハードルが高くなる可能性は高いでしょう。
妊娠対策としては、一刻も早く緊急避妊薬を服用すべきであり、ワンストップセンターへ行くのも、婦人科へ行くのも時間を要するものに変わりありません。
関連リンク
ピルとの付き合い方
http://finedays.org/pill/
すぐに必要な時がある。緊急避妊薬ノルレボを市販薬に!
https://ec-otc.blogspot.jp/
緊急避妊薬ノルレボの市販薬化について全力で答えるQ&A
http://afterpill.yu-nagi.com/
緊急避妊薬「ノルレボ錠」を市販化するお話
http://moi-m.com/?p=2498
2014年12月31日水曜日
もくじ(1) [index 1]
もくじ
資料へのリンク
児童ポルノ禁止法、資料リンク集(2013年5月25日現在)児童ポルノ禁止法改正案に関する声明・記事等へのリンク
児童ポルノ禁止法に関するドキュメント
ビラのドキュメントへのリンク等
リンク(資料1)
性教育関連のリンク集
2014年12月1日月曜日
2014年8月3日日曜日
インターネットを中心に考えたメディアの歴史と共存・付き合い方
※こちらに書いた記事のコピーです→http://hikichin.com/html/freeexp/handle_net.html
人が文明社会を築いていく中で、新聞・ラジオ・テレビと様々なメディアが生まれているが、これらのメディアが新しく生まれても、過去のメディアを淘汰している訳でもなく、しばらくして共存関係となった歴史がある。だから、インターネットという比較的新しいメディアも、過去のメディアと共存すると思っている。
メディアの歴史 - ラジオ本放送からわずか100年も経たないうちに普及したインターネット -
新聞は、はるか昔まで遡れば紀元あたりのローマ帝国時代に至る。急速に普及するのは、おそらく17世紀(1600年代)だろう。活版印刷と郵便制度の整備により、定期的に出版された。これが今日の新聞につながる。
ラジオ・テレビ・インターネットは20世紀(1900年代)の技術だ。ラジオが生まれたのは1900年くらい、テレビが生まれたのも実はだいたい同じくらい。むしろ、テレビの実験は1800年代半ばに始めている。
ラジオの本放送開始は1920年くらいから、テレビの本放送開始は1940年(白黒テレビ)・1950年(カラーテレビ)くらいから。
ラジオ・テレビで共通するのは、電波を利用して音声や画像を受信するということ。電波の利用という意味では、携帯電話・スマートフォンも同じ。その後テレビ・ラジオは、有線放送も開始しているが。
インターネットは、その前身のARPANETの1960年代が始まりだろう。その後1970年代半ばからinternetworkingの省略形としてインターネットという言葉が使われるようになり、1980年代後半からインターネットという言葉が盛んに使われるようになった。
1983年に、ARPANETのプロトコルが、現在よく使われるTCP/IPに変わる。1985年にARPNETからNSFNetへ移行。1990年に最初のwwwのサーバ・ブラウザが完成する。
1995年にNSFNetは民間へ移管。Windows95とともに普及した。そして、インターネット普及に貢献したのがADSL高速通信サービスだろう。2000年に東京めたりっく通信から始まり、2001年のYahoo!BB・フレッツADSLのサービス開始で急速に普及した。(ADSL・携帯の年は日本の時系列。その他は世界の時系列)
携帯電話は、1990年代に普及していった。1990年代後半からショートメールサービス開始。2000年代に入ると3Gが普及していく。また、2000年代あたりから携帯からのインターネットアクセスが普及していく(日本での普及は1999年のiモード開始と思われる)。
2007年のiPhoneから始まり、続いて2008年位に販売されたAndroidとともにスマートフォンは普及していく。スマートフォンの普及と共にインターネット通信量が急増。すなわち、携帯からのネットアクセスが当たり前のものとなった。
私がこの記事を書いている2014年は、ラジオの本放送開始である1920年から、まだ100年も経っていない。その間に、私たちはネットへ気軽にアクセスできる環境が整っている。この100年のうちに、私たちは様々なメディアの発展に遭遇しているのだ。
個人的に調べた限りのメディアの歴史の概要はこんなところ。
新聞・ラジオ・テレビとインターネットに関わる雑感
新聞といった活字メディアは、文字の発明以来の歴史があるだろう。だが、ラジオ・テレビ・インターネットといったメディアは、1900年代から今日にかけて、急速に発展した技術だ。
新聞・ラジオ・テレビの歴史を見ると、他のメディアを完全に淘汰した事実はない。だから、インターネットが普及しても、過去のメディアが完全になくなるとは思っていない。
ただ、提供のされ方が変わることはあり得るだろう。
ラジオ・テレビといった、電波や有線で音声・画像を送る物はインターネットで代替は可能である。インターネットは、携帯電話の電波・光ケーブル等で各家庭に配信することが可能だ。だから、離島でない限りは、配信方法に変化はあるかもしれない。
離島なら、衛星通信という手段もあるだろう。
配信方法として、非常時のラジオ放送を除けば、インターネットにすべて委ねる可能性は否定できない。
インターネット以外のメディアに問題があるとすれば、新聞・ラジオ・テレビの地方局などの利権・存在意義となる。
(テレビニュースも含むが)新聞もその存在意義が問われる時代になっているように思う。完全になくなるとはいえないものの、インターネットという情報の氾濫する中で、記事の正確性に疑問を持たれ、信頼性が失われてしまうと、読者は記事・報道そのものを非難しだす。記事に対する正確性・深く掘り下げた内容など、記者の手腕が問われる時代に入り出しているように思う。
逆に、インターネットそのものに対する問題もある。
インターネットというインフラに対する問題がある。インターネット単一のインフラに乗ってしまうと、インターネット自体が崩壊した場合、あらゆる情報がやりとりできなくなる危険が出てしまう。
インターネットというのは、あらゆる接続者に対して、平等にアクセスできてしまう。それはたとえ犯罪人・犯罪的組織であっても。便利であるが、同時に危険を孕む世界でもある。だから、ネット教育の欠かせない世界だ。(後述)
ネットテロの発生を考慮すると、インターネットそのもののあり方を十分吟味する必要がある。それは、電気・水道・道路信号といったインフラと接続するならなおさらである。暗号化・IPフィルタリング・物理接続線分離等を考える必要がある。
また、インターネット自体もお金がかかるインフラである。だから、そのインターネットへお金が回らなくなると、維持が出来ずに情報が遮断される危険があるだろう。インフラとしてインターネットに頼りすぎる危険性・インターネットを支える仕組み作りは意識する必要があるだろう。
たとえば、世界のメールの6~7割がスパムメールという事実もある。インターネットを支えるサーバーへのアタックも懸念されている。
アプリ単体を批判しても、インターネットの問題は解決されない
インターネットの歴史は、インターネットを利用するアプリ(プログラム)の歴史といっても過言ではないと私は思っている。(もちろん、インフラの重要性も欠かせない。特にARPANETの存在やADSLや3G以降やスマートフォンの普及など)
まず、WWWサーバとクライアントのアプリがなければ、情報の発信・情報の閲覧が始まらなかっただろう。その後、メールのやりとりができるようになり、VPNなど様々なアプリが開発・サービスが提供され、使えるようになった。
サーバー側のアプリとして、ブログサービス、Wikiサービス・クラウドなどが提供されるようになり、便利になっていった。インターネットラジオもサーバー・クライアントアプリの一つだろう。インターネットテレビもその延長線上になるだろう。
インターネットの世界は、犯罪的な存在を含めて、あらゆる人に対して平等に通信サービスが提供される。
その上で私たちは、ある程度フィルタリングされた世界の中で生きている。例えば、ISP側で迷惑な接続を遮断したり、メールサーバーでスパム・ウイルスメールを振り分け・削除したり、検索できなくしたり、ウイルス対策ソフト等で攻撃を遮断したり…。その中でなるべく安全にネット接続するようになっている。
そうしたフィルタリングされた世界の中であれば、ある程度犯罪的な存在との接触は限られてくる。それでも、ネット上でウイルス・スパムメールが存在したり、人と接触する以上、犯罪に巻き込まれる可能性はどうしても出てくる。
批判されている掲示板・LINEなどの存在は、あくまでサービス・アプリ・ツールの一つでしかない。そのものを淘汰しても、新しいサービス・アプリが提供される。だから、ツール自体を批判し規制しても、別のツールに移行するだけ。最も必要な対策は、安全なネットとの付き合い方を学習することだ。(後述)
また、アプリ・ツールのバグ・セキュリティホールを無くすことも欠かせない。暗号化技術の開発も止めてはならない。2014年8月現在安全とされるAESもいつか破られると思った方がいい。
ただ、私たちは過剰に暗号化が破られることばかり気にする必要はない。これは、国・OSやアプリの開発者に求められている課題だ。私たちは適時、必要とされる適切な暗号・プラットホーム等を利用すればそれでいい。WindowsXPのような警告に耳を傾けて対策できればそれでいい。
私たちユーザーが気にすることは、そうしたアプリ対応とともに、会社等で内部犯行者を出さないことだ。実際の人間が、会社や組織の中にスパイ等として入り込み、内部から攻撃等をされることに気を付けなければならない。これが一番大切だ。
あとは、自分が知らずに犯罪者にならないこともあるだろう。それは、後述の「学習」で習うべきことだろう。
<学習の必要性>生活の中における、インターネットを含むメディアとの付き合い方
インターネットは、新聞・ラジオ・テレビと異なり、自分自身が発信者となるためのハードルが極めて低い。犯罪的組織であっても、素人であっても、(メールやLINEなどを含めて)ネットへ自分から言葉を書き込みやすいし、情報をアクセスしやすいし、サービスを利用しやすい。
無知であれば犯罪に巻き込まれやすい環境でもあるし、自分が攻撃されやすい環境でもある。ならば、どうすればいいのか。
必要なのは「生活学習(私の造語)」の中における「ネット教育」だ。「交通安全教育」と同列に扱っていいものだと考えている。
現在の学校教育において、「四・五教科」ばかり注目される傾向にあるが、私たちが社会人になった時を考えると、社会生活に関わる知識を学ばなければ、子どもが大人になった時に社会性のなさを非難されてしまう。だから、「生活学習」のような学習機会が必要だろう。
インターネット上では、大人も子どもも、性別・宗教・思想など、そういった立場を超えて、情報・人にアクセスできてしまう。だから、現実社会と比べてトラブルが起きる可能性は高くなる。
ネットで人と接するのであれば、礼儀をわきまえる必要があるだろう。不用意な画像をアップロードしないなどのマナーが必要だろう。そうした知識がなければ、社会人であっても、ネットで問題が発生してしまう。「ネット教育」による学習は、誰もが受けるべきだ。
子どものうちに、ネット教育を受けることができれば、ネット上の有益な情報を取得したり、人と会話することは決して悪いことではないと思う。フィルタリングソフトとウイルス対策ソフト等を併用して、安全に利用し、「依存」しなければいいと思う。
それに、人と接してスムーズに話ができることは、社会人になった現実社会においても必要な「技術(スキル)」の一つであり、無駄な経験・技術・知識ではない。
学校等で社会教育である「生活学習」の一環として、「ネット教育」を受けることは、大人になっても役立つ知識として必要だと私は考える。
インターネットを排除する必要はない
インターネットは、新聞・テレビ・ラジオ世代からすれば、「自分から発信できる」という未知の部分、「双方向でやりとりができるが故の犯罪報道」という怖さから、どうしても忌避したくなるものかもしれない。
しかしインターネットは、(偽情報もあるが)様々な情報を収集できる・サービスを利用できる便利さがあるし、国境や立場を超えて会話ができる楽しさなどがある。それは、新聞・テレビ・ラジオではできないものだろう。
ただ、新聞・テレビ・ラジオと違って、自分から能動的に動くことが必要であるため、疲れる部分がある。その点では、テレビ・ラジオのスイッチを入れて視聴する気楽さ・アクセスのしやすさは、インターネットと比べれば優れている。だから、完全にはなくならない。
インターネットのネット配信・サービスは、既存の新聞・ラジオ・テレビとは異なる、新しいメディア・サービスであり、過去のメディアとは別のものだ。だから共存できるし、排除する必要はない。
もし、既存メディアが危機感を感じるのであれば、自分達がインターネットという新しいメディアにはない「独自性」は何か・いかに出すかを考えることが重要だと考える。
参照
新聞 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%81%9E
ラジオ - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA
テレビ - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93
携帯電話 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1
インターネット - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88
インターネットの歴史 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
ADSL - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/ADSL
iモード - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/I%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%89
iPhone - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/IPhone
Android - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/Android
人が文明社会を築いていく中で、新聞・ラジオ・テレビと様々なメディアが生まれているが、これらのメディアが新しく生まれても、過去のメディアを淘汰している訳でもなく、しばらくして共存関係となった歴史がある。だから、インターネットという比較的新しいメディアも、過去のメディアと共存すると思っている。
メディアの歴史 - ラジオ本放送からわずか100年も経たないうちに普及したインターネット -
新聞は、はるか昔まで遡れば紀元あたりのローマ帝国時代に至る。急速に普及するのは、おそらく17世紀(1600年代)だろう。活版印刷と郵便制度の整備により、定期的に出版された。これが今日の新聞につながる。
ラジオ・テレビ・インターネットは20世紀(1900年代)の技術だ。ラジオが生まれたのは1900年くらい、テレビが生まれたのも実はだいたい同じくらい。むしろ、テレビの実験は1800年代半ばに始めている。
ラジオの本放送開始は1920年くらいから、テレビの本放送開始は1940年(白黒テレビ)・1950年(カラーテレビ)くらいから。
ラジオ・テレビで共通するのは、電波を利用して音声や画像を受信するということ。電波の利用という意味では、携帯電話・スマートフォンも同じ。その後テレビ・ラジオは、有線放送も開始しているが。
インターネットは、その前身のARPANETの1960年代が始まりだろう。その後1970年代半ばからinternetworkingの省略形としてインターネットという言葉が使われるようになり、1980年代後半からインターネットという言葉が盛んに使われるようになった。
1983年に、ARPANETのプロトコルが、現在よく使われるTCP/IPに変わる。1985年にARPNETからNSFNetへ移行。1990年に最初のwwwのサーバ・ブラウザが完成する。
1995年にNSFNetは民間へ移管。Windows95とともに普及した。そして、インターネット普及に貢献したのがADSL高速通信サービスだろう。2000年に東京めたりっく通信から始まり、2001年のYahoo!BB・フレッツADSLのサービス開始で急速に普及した。(ADSL・携帯の年は日本の時系列。その他は世界の時系列)
携帯電話は、1990年代に普及していった。1990年代後半からショートメールサービス開始。2000年代に入ると3Gが普及していく。また、2000年代あたりから携帯からのインターネットアクセスが普及していく(日本での普及は1999年のiモード開始と思われる)。
2007年のiPhoneから始まり、続いて2008年位に販売されたAndroidとともにスマートフォンは普及していく。スマートフォンの普及と共にインターネット通信量が急増。すなわち、携帯からのネットアクセスが当たり前のものとなった。
私がこの記事を書いている2014年は、ラジオの本放送開始である1920年から、まだ100年も経っていない。その間に、私たちはネットへ気軽にアクセスできる環境が整っている。この100年のうちに、私たちは様々なメディアの発展に遭遇しているのだ。
個人的に調べた限りのメディアの歴史の概要はこんなところ。
新聞・ラジオ・テレビとインターネットに関わる雑感
新聞といった活字メディアは、文字の発明以来の歴史があるだろう。だが、ラジオ・テレビ・インターネットといったメディアは、1900年代から今日にかけて、急速に発展した技術だ。
新聞・ラジオ・テレビの歴史を見ると、他のメディアを完全に淘汰した事実はない。だから、インターネットが普及しても、過去のメディアが完全になくなるとは思っていない。
ただ、提供のされ方が変わることはあり得るだろう。
ラジオ・テレビといった、電波や有線で音声・画像を送る物はインターネットで代替は可能である。インターネットは、携帯電話の電波・光ケーブル等で各家庭に配信することが可能だ。だから、離島でない限りは、配信方法に変化はあるかもしれない。
離島なら、衛星通信という手段もあるだろう。
配信方法として、非常時のラジオ放送を除けば、インターネットにすべて委ねる可能性は否定できない。
インターネット以外のメディアに問題があるとすれば、新聞・ラジオ・テレビの地方局などの利権・存在意義となる。
(テレビニュースも含むが)新聞もその存在意義が問われる時代になっているように思う。完全になくなるとはいえないものの、インターネットという情報の氾濫する中で、記事の正確性に疑問を持たれ、信頼性が失われてしまうと、読者は記事・報道そのものを非難しだす。記事に対する正確性・深く掘り下げた内容など、記者の手腕が問われる時代に入り出しているように思う。
逆に、インターネットそのものに対する問題もある。
インターネットというインフラに対する問題がある。インターネット単一のインフラに乗ってしまうと、インターネット自体が崩壊した場合、あらゆる情報がやりとりできなくなる危険が出てしまう。
インターネットというのは、あらゆる接続者に対して、平等にアクセスできてしまう。それはたとえ犯罪人・犯罪的組織であっても。便利であるが、同時に危険を孕む世界でもある。だから、ネット教育の欠かせない世界だ。(後述)
ネットテロの発生を考慮すると、インターネットそのもののあり方を十分吟味する必要がある。それは、電気・水道・道路信号といったインフラと接続するならなおさらである。暗号化・IPフィルタリング・物理接続線分離等を考える必要がある。
また、インターネット自体もお金がかかるインフラである。だから、そのインターネットへお金が回らなくなると、維持が出来ずに情報が遮断される危険があるだろう。インフラとしてインターネットに頼りすぎる危険性・インターネットを支える仕組み作りは意識する必要があるだろう。
たとえば、世界のメールの6~7割がスパムメールという事実もある。インターネットを支えるサーバーへのアタックも懸念されている。
アプリ単体を批判しても、インターネットの問題は解決されない
インターネットの歴史は、インターネットを利用するアプリ(プログラム)の歴史といっても過言ではないと私は思っている。(もちろん、インフラの重要性も欠かせない。特にARPANETの存在やADSLや3G以降やスマートフォンの普及など)
まず、WWWサーバとクライアントのアプリがなければ、情報の発信・情報の閲覧が始まらなかっただろう。その後、メールのやりとりができるようになり、VPNなど様々なアプリが開発・サービスが提供され、使えるようになった。
サーバー側のアプリとして、ブログサービス、Wikiサービス・クラウドなどが提供されるようになり、便利になっていった。インターネットラジオもサーバー・クライアントアプリの一つだろう。インターネットテレビもその延長線上になるだろう。
インターネットの世界は、犯罪的な存在を含めて、あらゆる人に対して平等に通信サービスが提供される。
その上で私たちは、ある程度フィルタリングされた世界の中で生きている。例えば、ISP側で迷惑な接続を遮断したり、メールサーバーでスパム・ウイルスメールを振り分け・削除したり、検索できなくしたり、ウイルス対策ソフト等で攻撃を遮断したり…。その中でなるべく安全にネット接続するようになっている。
そうしたフィルタリングされた世界の中であれば、ある程度犯罪的な存在との接触は限られてくる。それでも、ネット上でウイルス・スパムメールが存在したり、人と接触する以上、犯罪に巻き込まれる可能性はどうしても出てくる。
批判されている掲示板・LINEなどの存在は、あくまでサービス・アプリ・ツールの一つでしかない。そのものを淘汰しても、新しいサービス・アプリが提供される。だから、ツール自体を批判し規制しても、別のツールに移行するだけ。最も必要な対策は、安全なネットとの付き合い方を学習することだ。(後述)
また、アプリ・ツールのバグ・セキュリティホールを無くすことも欠かせない。暗号化技術の開発も止めてはならない。2014年8月現在安全とされるAESもいつか破られると思った方がいい。
ただ、私たちは過剰に暗号化が破られることばかり気にする必要はない。これは、国・OSやアプリの開発者に求められている課題だ。私たちは適時、必要とされる適切な暗号・プラットホーム等を利用すればそれでいい。WindowsXPのような警告に耳を傾けて対策できればそれでいい。
私たちユーザーが気にすることは、そうしたアプリ対応とともに、会社等で内部犯行者を出さないことだ。実際の人間が、会社や組織の中にスパイ等として入り込み、内部から攻撃等をされることに気を付けなければならない。これが一番大切だ。
あとは、自分が知らずに犯罪者にならないこともあるだろう。それは、後述の「学習」で習うべきことだろう。
<学習の必要性>生活の中における、インターネットを含むメディアとの付き合い方
インターネットは、新聞・ラジオ・テレビと異なり、自分自身が発信者となるためのハードルが極めて低い。犯罪的組織であっても、素人であっても、(メールやLINEなどを含めて)ネットへ自分から言葉を書き込みやすいし、情報をアクセスしやすいし、サービスを利用しやすい。
無知であれば犯罪に巻き込まれやすい環境でもあるし、自分が攻撃されやすい環境でもある。ならば、どうすればいいのか。
必要なのは「生活学習(私の造語)」の中における「ネット教育」だ。「交通安全教育」と同列に扱っていいものだと考えている。
現在の学校教育において、「四・五教科」ばかり注目される傾向にあるが、私たちが社会人になった時を考えると、社会生活に関わる知識を学ばなければ、子どもが大人になった時に社会性のなさを非難されてしまう。だから、「生活学習」のような学習機会が必要だろう。
インターネット上では、大人も子どもも、性別・宗教・思想など、そういった立場を超えて、情報・人にアクセスできてしまう。だから、現実社会と比べてトラブルが起きる可能性は高くなる。
ネットで人と接するのであれば、礼儀をわきまえる必要があるだろう。不用意な画像をアップロードしないなどのマナーが必要だろう。そうした知識がなければ、社会人であっても、ネットで問題が発生してしまう。「ネット教育」による学習は、誰もが受けるべきだ。
子どものうちに、ネット教育を受けることができれば、ネット上の有益な情報を取得したり、人と会話することは決して悪いことではないと思う。フィルタリングソフトとウイルス対策ソフト等を併用して、安全に利用し、「依存」しなければいいと思う。
それに、人と接してスムーズに話ができることは、社会人になった現実社会においても必要な「技術(スキル)」の一つであり、無駄な経験・技術・知識ではない。
学校等で社会教育である「生活学習」の一環として、「ネット教育」を受けることは、大人になっても役立つ知識として必要だと私は考える。
インターネットを排除する必要はない
インターネットは、新聞・テレビ・ラジオ世代からすれば、「自分から発信できる」という未知の部分、「双方向でやりとりができるが故の犯罪報道」という怖さから、どうしても忌避したくなるものかもしれない。
しかしインターネットは、(偽情報もあるが)様々な情報を収集できる・サービスを利用できる便利さがあるし、国境や立場を超えて会話ができる楽しさなどがある。それは、新聞・テレビ・ラジオではできないものだろう。
ただ、新聞・テレビ・ラジオと違って、自分から能動的に動くことが必要であるため、疲れる部分がある。その点では、テレビ・ラジオのスイッチを入れて視聴する気楽さ・アクセスのしやすさは、インターネットと比べれば優れている。だから、完全にはなくならない。
インターネットのネット配信・サービスは、既存の新聞・ラジオ・テレビとは異なる、新しいメディア・サービスであり、過去のメディアとは別のものだ。だから共存できるし、排除する必要はない。
もし、既存メディアが危機感を感じるのであれば、自分達がインターネットという新しいメディアにはない「独自性」は何か・いかに出すかを考えることが重要だと考える。
参照
新聞 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%81%9E
ラジオ - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA
テレビ - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93
携帯電話 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1
インターネット - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88
インターネットの歴史 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
ADSL - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/ADSL
iモード - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/I%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%89
iPhone - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/IPhone
Android - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/Android
2014年7月20日日曜日
今日(2014-07-20)のメモ・下書き
わいせつについての下書き
わいせつ物頒布等の罪は、性器等を描いた性表現を、売ったり閲覧できる(頒布できる)状態のものを取り締まるものである。
わいせつ - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%84%E3%81%9B%E3%81%A4%E7%89%A9%E9%A0%92%E5%B8%83%E7%AD%89%E3%81%AE%E7%BD%AA
わいせつ三要件
1.通常人の羞恥心を害すること
2.性欲の興奮、刺激を来すこと
3.善良な性的道義観念に反すること
「わいせつ - Wikipediaより引用」
悪徳の栄え事件
「芸術的・思想的価値のある文書でもわいせつの文書として取り扱うことは免れない」
「わいせつ - Wikipediaより引用」
基本的には、芸術性等は関係なく取り締まられる。
現在、わいせつとされているものが流通・展示等が可能なのは、警察側がお目こぼししているためであり、明示的に許可はされていない。
社会風俗を守る目的の法律だが、その有効性には私個人が調べた限り、疑問を感じる。むしろ、わいせつ要件で取り締まることで、本来取り締まるべき性被害への対応がおろそかになるのであれば、わいせつでもって取り締まることは、むしろ個人の権利を守る上では害悪である。
なお、公然わいせつについても、プライベートな私空間であって、その空間にいる全員に合意があっても、複数人が性行為をすると、逮捕される可能性がある。合意があっても取り締まることについては、私個人の考えとしては違和感を感じる。
** ゾーニングについて
目安として定義する。
文化庁管轄の著作権法で定義する。
**性について学習する権利
子どものうちに性に関する情報を規制しても、大人になってからどうしても性に関する情報を得る。
大人になった時に性について無知・誤った情報を得て、誤った情報を実行したり、無知から相手に暴力行為をすることは想像できることであり、問題の先送りの効果しかなく、社会の性道徳・性倫理の悪影響は免れない。
従って、子どものうちに、性に関して学習する権利を有すべきである。
性教育とは、性行為に関する知識だけではない。
・異性との恋愛や結婚のこと
・LGBTのこと
・子どもの心と子育てのこと
・そして、性行為のこと
これらをセットで学ぶことが、人が生きる上で必要な性知識となる。
2014年4月23日水曜日
外国人労働者受け入れ(事実上移民政策)が、日本という国を終わらせるかもしれない
外国人労働者受け入れ(事実上「移民政策」)だけど、下手に行うと日本の治安が相当悪化すると思う。
外国人労働者を受け入れて喜びそうな所って、「行政」「大企業」「極右団体(排外団体)」だろうね。
「大企業」は、工場等の規模が大きいから、語学ができるリーダーがいれば、外国人労働者でも生産ラインをフル稼働できる。海外研修して現地の言語・文化を学べば、国内でもその経験は役立つ。そして、日本が駄目になれば逃げられる。最も勝利に近い側。
「行政」は、外国人が入れば、とりあえず短期・中期的には税収は増える。ただし、治安悪化等があるので、国の舵取りがかなり難しくなる。その場合、国としては統制国家を望むだろうね。あと、純粋な日本人が少数派になって、国が乗っ取られる可能性もある。
異質だと思われそうのは「極右団体(排外団体)」だろう。特に特定の外国人が日本に移り住むのを排外団体は嫌い、デモ等で叫ぶ。建前としては外国人受け入れは反対だが、上層部としては、本音として外国人か受け入れが始まるのをチャンスに思うだろう。
なぜかというと、外国人が入れば、文化的な違いや言葉の壁などのコミュニケーション不足で日本人との摩擦は避けられないからだ。それは、日本国内という身近な中で、外国人が多くなればなるほど摩擦は大きくなる。すると、排外団体でなくても、外国人に対して反発心を持つ。
外国人に対して反発心が大きくなればなるほど、排外団体を支持する人は多くなる。結果的には排外団体の力が強くなり、政治的な影響力が強くなる。だから、頭の回る排外団体の上層部としては、腹の底では外国人労働者が大量流入するのを待っているだろう。
排外団体の思惑通りに、外国人が大量流入し、排外団体と外国人との摩擦が起きれば、当然治安は悪化する。行政は、それを待って検閲や国民の人権を統制し始める。規制したい人は、大喜びになるだろうね。治安と景気が悪化すれば、大企業・富裕者層は外国へ逃げる。
そして、国民の権利は制限され、統制国家となり、大企業・富裕者層がいなくなって税収も減り、負けるのはひたすら国民ということになるだろうね。最終的には国の存亡に関わり、国も敗北するかもだけどね。
雇用環境を悪化させれば、日本国民が疲弊して動けなくなって、働ける人が少なくなるのだから、外国人労働者受け入れをせざるをえなくなる。雇用環境悪化と少子化が、日本を急激に駄目にしていくきっかけになると思う。
日本が終わってしまう姿が見えてしまうな。
外国人労働者を受け入れて喜びそうな所って、「行政」「大企業」「極右団体(排外団体)」だろうね。
「大企業」は、工場等の規模が大きいから、語学ができるリーダーがいれば、外国人労働者でも生産ラインをフル稼働できる。海外研修して現地の言語・文化を学べば、国内でもその経験は役立つ。そして、日本が駄目になれば逃げられる。最も勝利に近い側。
「行政」は、外国人が入れば、とりあえず短期・中期的には税収は増える。ただし、治安悪化等があるので、国の舵取りがかなり難しくなる。その場合、国としては統制国家を望むだろうね。あと、純粋な日本人が少数派になって、国が乗っ取られる可能性もある。
異質だと思われそうのは「極右団体(排外団体)」だろう。特に特定の外国人が日本に移り住むのを排外団体は嫌い、デモ等で叫ぶ。建前としては外国人受け入れは反対だが、上層部としては、本音として外国人か受け入れが始まるのをチャンスに思うだろう。
なぜかというと、外国人が入れば、文化的な違いや言葉の壁などのコミュニケーション不足で日本人との摩擦は避けられないからだ。それは、日本国内という身近な中で、外国人が多くなればなるほど摩擦は大きくなる。すると、排外団体でなくても、外国人に対して反発心を持つ。
外国人に対して反発心が大きくなればなるほど、排外団体を支持する人は多くなる。結果的には排外団体の力が強くなり、政治的な影響力が強くなる。だから、頭の回る排外団体の上層部としては、腹の底では外国人労働者が大量流入するのを待っているだろう。
排外団体の思惑通りに、外国人が大量流入し、排外団体と外国人との摩擦が起きれば、当然治安は悪化する。行政は、それを待って検閲や国民の人権を統制し始める。規制したい人は、大喜びになるだろうね。治安と景気が悪化すれば、大企業・富裕者層は外国へ逃げる。
そして、国民の権利は制限され、統制国家となり、大企業・富裕者層がいなくなって税収も減り、負けるのはひたすら国民ということになるだろうね。最終的には国の存亡に関わり、国も敗北するかもだけどね。
雇用環境を悪化させれば、日本国民が疲弊して動けなくなって、働ける人が少なくなるのだから、外国人労働者受け入れをせざるをえなくなる。雇用環境悪化と少子化が、日本を急激に駄目にしていくきっかけになると思う。
日本が終わってしまう姿が見えてしまうな。
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