2012年9月28日金曜日

情報の有害性・人への影響について

情報の有害性について時折議論することがあるので、考えてみようと思う。
始めに結論を出すが、『あらゆる情報において有益性・有害性の双方の面が存在し、あらゆる作品・創作物が人へ「良い影響も悪影響も与える』のが結論だ。
よく、暴力表現・ポルノ表現が子どもに悪影響を与えると言われるが、『フィクションを見て、何も考えずに他人・自然・公共物等に危害を与えることは真似してはならない』ということを学ばなければ、暴力表現・ポルノ表現が子どもに限らず悪影響を与えるのは事実だ。しかし、それをもって作品・創作物を無闇に規制するしてはならない。本質的に何をすべきかは、規制ではなく、『フィクションを真似しない』ことを学ぶことだ。

また、『ポルノ雑誌を見た子がショックを受けた』といってパニックを起こす親がいるが、これも予防と対処方法が間違っているからである。
ポルノ関連の図書類は、人によっては見たくないものだろうが、現状はほぼすべての書店・コンビニ等が雑誌をきちんと分類をしている。
予防としては、基本として性教育がある。ポルノ書籍に限らず、夫婦同士で性行為をすることもあるし、子どもが性について触れる機会はいずれにしても存在する。ならば、まず事前に性について知識を得て驚かない状況を作ることが、本来は子ども自身がショックを受ける・パニックにならないために必要だろう。
そして、ポルノ関連の図書類を見たときの対処方法としては、成人向け図書類は区分しておかれているので、下記のような対処をするべきであると考える。
  • まず、大人(保護者)が冷静になること
    大人がパニックになると、子ども自身もパニックになり、ショックを受ける
  • 「大人向けの図書のコーナーになるべく行かないように」と指導すること
  • 「大人向けの図書は見ないこと。たとえ大人向けの雑誌を見ても、中に書いてあることを、訳もわからないまま真似しないこと」と指導すること

成人向けの暴力・ポルノ図書類を見た場合、ショックを受ける、真似をするなどの悪影響があることは否定できない。でも、それは「フィクションを安易に真似しないよう指導すること」「性教育で性などを通じた好きな人同士のコミュニケーションを教えること」など、子ども自身が自分で自分の身を守れるように指導することで基本的には予防できる。それをしていない現状はまずいのであるが、そのような対策をしようとしていないのはまずいのではないだろうか。

そもそも、あらゆる情報には有益性もあれば害悪性もある。
アメリカ同時多発テロの生中継や、東日本大震災の地震・津波の様子などを見て、精神的に辛くなった人がいるはずだ。そういった害悪の面だってある。
しかし、情報は害悪だけでなく有益性もある。
その有益性の上で、私たちの豊かな生活が成り立っているし、民主主義が成り立っている。
有益性を無視して、「害悪だ、規制しろ」とばかり叫び、情報をどんどん規制することは、本当に社会のためになるのか。そして、子どものためになっているのか。きちんと考えてほしい。
安易な情報・作品・創作物の規制は、将来を担う子どもに対して、窮屈な社会生活・民主主義の崩壊などの害悪を与えかねないことを、私たちは想像し、理解しなければならない。

2012年9月27日木曜日

性暴力・性虐待加害者にとって、性教育をされていない子どもは格好のターゲットである

性暴力・性的虐待をする事にとって、性教育などを通じて、下記の内容を子どもに知られることは、大きな恐怖を感じると思われる。
  • 何が性行為・性的接触なのか
  • 性行為や性的接触は、どのような人とすべきなのか
  • 性行為をする際に気をつけるべきことは何か(性病・避妊について)
  • 何が性暴力・性虐待になるのか
  • 性犯罪・性暴力・性虐待に遭ったとき、どこに・誰に言えばいいのか
逆に言うと、これらを教えていない現状は、子どもが性的被害に遭っても、それを理解していなかったり、通報先を知らなくて暗数化してしまうことになる。この現状は、性加害者にとって、性暴力・性的虐待を行いやすい環境と言える。
上記の各項目を学校の性教育において必修化し学ぶ事ができれば、子どもの性被害防止に極めて有意義であり、また、性被害に遭ったとしても、通報場所を教えることで暗数化しづらくすることが可能となる。
性暴力・性虐待については、低年齢層に対しても行われることがあるのが現状である。しかも、加害者の多くが親族・教員など身近な人が多い。したがって、義務化した上で小学校低学年など、ある程度低い年齢で学習して性被害防止に努めるべきと考える。

「性的なことを教えたら、安易に性行為をするようになってしまう」という声があるかもしれない。これについては、年齢に応じて適切な内容の性教育を教えるべきだと考える。

ぶっちゃけて言うが、ポルノ情報に関しては、小学校高学年から中高生にかけて見る子は多い。それは、子ども自身が求めている情報であるからである。見ることの害悪性はあるかもしれないが、それ以上に当事者の子どもは性情報を求めているのである。条例で禁止しても、何らかの方法で求めてくる。ならば「本やネットにある性情報等は、何も考えないで真似をしてはならない。本などを真似て人を傷つけてはならない」と教えることが大切である。これは、学校の性教育などので、要約すれば短い時間で説明できる大切な内容ではないだろうか。
それに、情報の有害性は、ポルノ以外にもあらゆるものにある。ならば、「フィクションにおいて、相手を傷つける行為をしてはならない」という学習・啓発活動を行うことで、その有害性を取り除くことこそが大切ではないか。ポルノ・暴力表現の有害性ばかり訴えて、特定表現を殲滅させるようなことは、検閲を認めて自滅するような行為であり、逆に不健全である。

性加害者にとって、性的ないたずら・性犯罪・性虐待に及ぶ際に特に嫌がると思うのが、子ども自身が相手からされる性的な行為を理解し、それがしてはいけないと察して、声を出したりして嫌がったり、逃げたり、通報されることであろう。
つまり、性教育で性暴力・性虐待・性犯罪を学ばれることが、性加害者・性犯罪者にとって、とても嫌がることではないだろうか。
ならば、性加害者にとって嫌がることを子ども自身が学び、子ども自身が自分で自分の身を守る力(エンパワメント)を身につけることが大切になると考える。
そして、自分で自分の身を守る力は、自立する力ともなり、責任を持てる子どもを育てることにもつながる。